juraian’s blog

東アジア史、ナショナリズム、反日言説に関する個人研究

日朝中から見た日朝中 (3) 『隋書』東夷伝

井上秀雄他訳注『東アジア民族史1』東洋文庫264,平凡社, 1974.

『隋書』は唐の魏徴・長孫無忌らの編纂により、列伝は636年(貞観10年)には完成していた。東夷伝には魏書や周書とは別系統の社会・風俗情報が見られる。倭国伝には有名な「日出處天子致書日没處天子」のくだりがあるが、省略した。

 

高 麗

人皆皮冠、使人加插鳥羽。貴者冠用紫羅、飾以金銀。服大袖衫、大口袴、素皮帶、黄革履、婦人裙襦加襈。

高句麗の〕人は、みな皮の冠をかぶり、使者となる人はさらに〔冠に〕鳥の羽を挿す。貴人は冠に紫色の羅を用い、金・銀で飾りつける。衣服は袖のある大きな上着、大口の袴、白い皮の帯、黄色い革の履を用い、婦人は裾襦に縁どりしたものを着る。(p. 171)

 

毎春秋校獵、王親臨之。

春や秋になると、いつも校猟(木の柵などで禽獣の進路を断つ狩猟法)をし、王もみずからそれに参加する。(p. 171)

 

人税布五匹、谷五石、遊人則三年一税、十人共細布一匹。租戸一石、次七鬥、下五鬥。

人〔頭〕税は、〔一人あたり〕布を五匹、穀物を五石で、遊人は三年ごとに一回の税制で、十人あわせて細布を一匹〔納める〕。租は一戸あたり〔上戸が〕一戸、次が七斗、下〔戸〕が五斗である。(p. 171)

 

反逆者縛之於柱、爇而斬之、籍沒其家。盜則償十倍。用刑既峻、罕有犯者。

反逆者は、柱に縛りつけ、火あぶりにして斬殺し、その家人を戸籍からはずして〔奴婢とし〕財産を没収する。盗みをしたものは、その十倍を弁償する。刑罰を行なうことがとても厳しいが、まれには犯罪者がある。(p. 171)

 

毎年初、聚戲于浿水之上、王乘腰輿、列羽儀以觀之。事畢、王以衣服入水。分左右為二部、以水石相濺擲、喧呼馳逐。再三而止。

毎年、年初めに浿水のほとりで聚戯が行なわれ、王は腰輿に乗って〔種々の〕旗を列べてそれを観覧する。行事が終わると、王は衣服を水に入れる。〔そして群衆は〕左右二部に分かれ、水をはねかけたり、石を投げあったりし、喧しく叫びあって〔相手を〕追い馳けあう。〔そのようなことを〕再三くり返して〔後にその行事を〕終える。(p. 172)

 

俗好蹲踞、潔淨自喜。以趨走為敬、拜則曳一脚。立各反拱、行必搖手。性多詭伏。

人々は好んで蹲踞し、大変きれい好きである。小走りして恭敬〔の礼〕をあらわし、〔跪〕拝〔の礼〕は一脚を引いて行う。立っている時はおのおの〔中国の礼と〕逆に右手を前に重ね、歩くときは必ず手を揺る〔のが礼である〕。人々の性格には、心にもなく人に従うことが多い。(p. 172)

 

父子同川而浴、共室而寢。婦人淫奔、俗多遊女。有婚嫁者、取男女相悅、然即為之。男家送豬酒而已、無財聘之禮。或有受財者、人共恥之。

父子は同じ川で水浴し、同じ部屋に寝る。婦人は淫奔で、民間には遊女が多い。結婚は、男女の両方とも気にいったもの同士がする。男の家は猪・酒を〔女の家へ〕贈るだけで、財物を贈る儀礼はない。財物を受け取る者があれば、みんながそれを恥ずべきこととする。(p. 172)

 

死者殯于屋内、經三年、擇吉日而葬。居父母及夫之喪、服皆三年、兄弟三月。初終哭泣、葬則鼓舞作樂以送之。埋訖、悉取死者生時服玩車馬置於墓側、會葬者爭取而去。

死者は屋内に殯し、三年たったら吉日を選んで葬る。父母および夫が死んだら、三年間喪に服し、兄弟〔の喪〕は三ヵ月である。〔その儀式の〕初めと終わりに哭泣し、鼓舞して楽を行なって葬送する。埋葬しおわったら、死者の生きている時の日用品・愛甲品・車馬などをすべて墓の横に置き、会葬者は争って取っていく。(p. 173)

 

敬鬼神、多淫祠。

また、鬼神を敬い、淫祠が多い。(p. 173)

 

百 濟

其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。

百済の人〔の中〕には、新羅・高〔句〕麗・俀〔倭〕など〔の人〕が雑っており、それにまた中国人もいる。(p. 255)

 

其衣服與高麗略同。婦人不加粉黛、女辮發垂後、已出嫁則分為兩道、盤於頭上。俗尚騎射、讀書史、能吏事、亦知醫藥、蓍龜、占相之術。以兩手據地為敬。

百済の衣服は高〔句〕麗〔のもの〕とほぼ同じである。婦人は、白粉や眉墨をつけず、辮髪して後ろに垂らし、嫁ぐと〔髪を〕二筋に分け、頭上にまきつける。人々は騎射を重んじ、古典と歴史書を読み、公務をうまくこなし、さらに医薬、〔それに〕筮竹や亀の甲で占う術を知っている。〔また百済では〕両手を地につけて尊敬を示す動作としている。(p. 255)

 

有僧尼、多寺塔。有鼓角、箜篌、箏、竿、{虎}、笛之樂、投壺、圍棋、樗蒲、握槊、弄珠之戲。行宋《元嘉暦》、以建寅月為歳首。

百済には〕僧尼がおり、寺や塔が多い。鼓角・箜篌・箏竿・箎笛〔などの〕楽器や、投壺〔投げ矢〕・囲棊・樗蒲(ばくち)・握槊(すごろく)・弄珠(たま投げ)〔など〕の遊びがある。〔南朝の〕宋の元嘉暦を使用し、建寅の月を正月としている。(p. 256)

 

婚娶之禮、略同于華。喪制如高麗。

婚姻の〔儀〕礼は、ほぼ中国と同じである。〔葬〕喪の制は、高〔句〕麗〔の葬儀〕に似ている。(p. 256)

 

有五穀、牛、豬、雞。多不火食。厥田下濕、人皆山居。有巨栗。

百済には〕五穀・牛・猪・鶏がいる。煮たり焼いたりしないで〔そのまま〕食べることが多い。耕地は低湿地にあり、人々は山〔地〕に居〔住〕している。大きな栗がとれる。(p. 256)

 

毎以四仲之月、王祭天及五帝之神。立其始祖仇台廟于國城、歳四祠之。

毎〔年〕四仲の月に、〔百済〕王は天と五帝の神を祭る。〔また〕始祖の仇台の廟を国都に立て、年に四回これを祭っている。(p. 257)

 

國西南人島居者十五所、皆有城邑。

国の西南には、人の住む島が十五ヵ所あり、〔そこにも、それぞれ〕みな城や邑がある。(p. 257)

 

新 羅

其文字、甲兵同於中國。選人壯健者悉入軍。烽、戍、邏倶有屯管部伍。風俗、刑政、衣服、略與高麗、百濟同。毎正月旦相賀、王設宴會、班賚群官。其日拜日月神。至八月十五日、設樂、令官人射、賞以馬布。其有大事、則聚群官詳議而定之。

新羅の文字や武器は、中国と同じである。壮健なる男子を選抜して残らず軍隊に入れる。烽火や辺境の警備・巡視にはみな軍営や部隊組織がある。風俗・刑罰・衣服は、ほぼ高〔句〕麗・百済と同じである。毎年元旦にはみな祝賀し、〔新羅〕王は祝宴を催して群臣に物を分かち与える。その日には日神と月神とを礼拝する。八月十五日になると、〔新羅王は〕朝廷で音楽を用意して官人に弓矢〔の技を競わせ〕馬や布を褒美とする。国政の重要問題は群臣を集めて詳細にわたり合議し決定する。(pp. 279-280)

 

服色尚素。婦人辮發繞頭、以雜彩及珠為飾。婚嫁之禮、唯酒食而已、輕重隨貧富。新婚之夕、女先拜舅姑、次即拜夫。死有棺斂、葬起墳陵。王及父母妻子喪、持服一年。田甚良沃、水陸兼種。其五穀、果菜、鳥獸物産、略與華同。大業以來、歳遣朝貢新羅地多山險、雖與百濟構隙、百濟亦不能圖之。

新羅人は〕服の色には白色を尊重し、婦人は長髪を編んで頭上にめぐらせ、種々の綵や珠玉を飾っている。婚姻の儀礼はただ酒食するだけであり、その宴会の盛大さは貧富によって差がある。新婚の夜の新妻は、まず夫の父母に挨拶し、しかる後、夫に拝礼する。人が死ぬと死装束をつけて棺に入れ、埋葬にあたっては高塚墳墓を造営する。王と父母妻子との服喪期間は一ヵ年である。〔新羅の〕田畠ははなはだ肥沃であって、水稲陸稲ともに栽培されている。穀物や果物・野菜、また鳥獣や産物などは、ほぼ中国のそれと同じである。〔隋の〕煬帝の即位後は、毎年朝貢使を派遣している。新羅の地は峻険な山地が多いため、百済と抗争しているものの、百済はなかなか〔新羅を〕滅ぼすことができない。(p. 280)

 

俀 國

其服飾男子衣裙襦其袖微小履如屨形漆其上繋之於脚。人庶多跣足。不得用金銀爲飾。故時衣横幅結束相連而無縫。頭亦無冠但垂髪於兩耳上。至隋其王始制冠。以錦綵爲之以金銀鏤花爲飾。婦人束髪於後亦衣裙襦裳。皆有襈攕。竹爲梳。編草爲薦。雜皮爲表。縁以文皮。有弓矢刀矟弩[矛贊]斧。漆皮爲甲骨爲矢鏑。雖有兵無征戦。其王朝會必陳設儀杖奏其國樂。戸可十萬。

服飾については、男子ははだ着を着けるが袖は小さい。履物は、一重底の浅履のように〔作って〕漆を塗り、これを足に繋りつけている。庶民はほとんどが跣足で、金銀などを装飾とすることはできない。もとは、衣服は、横広の〔の布〕を結束して連ねただけで縫製もせず、頭には冠りものがなくただ髪を両耳の上に垂らしていただけであった。隋の時代になって、〔倭〕王は初めて冠の制度を定めた。冠は錦や綵をもって作り、金や銀で作った花を飾りとしている。婦人は髪を後ろに束ね、やはりはだ着を着けている。裳にはみな縁どりがある。竹を薄くそいで梳とし、草を編んで薦としている。種々の皮革で上着を作り、色皮で縁どりをする。〔武器・武具には〕弓矢・矟(ほこ)・弩・[矛贊](ほこ)・斧がある。皮革に漆を塗って甲とし、骨を矢鏑とする。〔常備〕軍隊はあるのだが出征はしない。倭王は朝廷で会の際には必ず儀仗を陳ね、倭国の楽伎を奏させる。〔倭国の〕戸数は十万戸ほどである。(p. 324)

 

其俗殺人強盗及姦皆死盗者計贓酬物無財者没身爲奴。自餘輕重或流或杖。毎訊究獄訟不承引者以木壓膝或張強弓以弦鋸其項。或置小石於沸湯中令所競者探之云理曲者即手爛。或置蛇瓮中令取之云曲者即螫手矣。人頗恬静罕争訟少盗賊。

倭国のならわしでは、殺人・強盗・姦通は死罪である。窃盗の罪人には、盗んだ物を計って購わせ、〔購う〕私財がなければ盗まれた人にこれを奴婢とさせる。その他、罪状の軽重により流罪や杖罪がある。訴訟事件の審理があれば、承知しない人間の膝を木で圧迫したり、強い弓の弦で項を鋸で引くように〔拷問〕する。或いはまた、小石を煮えたぎった湯の中に入れ、争っている双方に小石をつかみ上げさせる。道理にはずれている者の手は爛れるというのである。或いは〔また、双方に〕甕の中の蛇ををつかませ、螫された者の言い分は不正だと判定する。人〔の性質〕はきわめて無欲でさっぱりしたもので、争いごとは稀であり、盗賊も少ない。(pp. 324-325)

 

男女多黥臂點面文身。没水捕魚。無文字唯刻木結繩。敬佛法於百濟求得佛經始有文字。知卜筮尤信巫覡。毎至正月一日必射戲飲酒。其餘節與華同。好棊博握槊樗蒲之戲。

男女ともに体中に入墨して、潜水して魚を捕えている。〔倭人には〕文字がなく、木に刻み目をつけたり縄に結び目をつけたりして〔記憶を助け約束の手がかりとして〕いたが、仏法を敬うようになって百済から仏教経典を求めて得たことにより、初めて文字をもつようになった。卜筮の方法も知ってはいるが、巫覡〔の神がかり〕を最も信じる。毎年正月一日には必ず射芸を行い酒宴を催す。その他の節気はだいたい中国と同じである。〔また倭人は〕囲碁・すごろく・樗蒲などの遊びが好きである。(p. 325)

 

氣候温暖草木冬青。土地膏腴水多陸少。以小環挂鸕鷀項令入水捕魚日得百餘頭。俗無盤爼藉以檞葉食用手餔之。性質直有雅風。女多男少。婚嫁不取同姓。男女相悦者即爲婚。婦入夫家必先跨犬乃與夫相見。婦人不婬妬。死者斂以棺槨親賓就屍歌舞妻子兄弟以白布製服。貴人三年殯於外庶人卜日而瘞。及葬置屍船上陸地牽之或以小轝。

気候は温暖で、冬でも草木は緑をなし、土地は肥沃だが、河川が多く陸地は少ない。鵜の首の小さな環〔に紐をつけて〕手繰り、川に入って日に百尾以上もの魚を取る。〔倭人には〕皿やまな板〔を使う習慣〕がなく、檞の葉に食物を盛って手で食べる。〔倭人の〕性質は素直かつ雅風である。女が男よりも多い。同姓不婚で、好き合えば結婚する。花嫁が始めて夫方の家に入る時には、必ずまず〔門口の〕火を跨ぎ、そして夫と相見えるのである。婦人は貞淑で嫉妬などしない。死者の埋葬には棺と槨とを用いる。親しい賓客たちは遺骸のまわりで歌舞し〔て送葬の楽とし〕、〔故人の〕妻子や兄弟は白布で喪服を作る。尊貴の者の場合は家の外〔の殯屋〕で三年間も殯し、庶民の場合は日〔の好し悪し〕を卜って埋葬する。埋葬には遺骸を〔模型の〕船に乗せ、地上でこれを引き摺るか、小さな輿で担いでゆく。(pp. 325-326)

 

新羅百濟皆以倭爲大國多珎物並敬仰之恒通使往來。

新羅百済は、倭〔国〕を大国で珍しい物も多い国として敬仰し、つねに使者を往来させている。(p. 326)