juraian’s blog

東アジア史、ナショナリズム、反日言説に関する個人研究

中国の長期時系列 ⑥性・年齢構成

人口の性比

『中国統計年鑑』には1949年以降の男女別人口の長期時系列があるので、性比=100*(男/女)を計算してみた。中国人口の性比は台湾同様に高いが、人口普査(センサス)が行われるたびにコロッと変わり連続性がない。196090年代は台湾ほどの男余り社会ではなかったらしいが、1990年代の中国の性比はわけわからん動きをしている。2000年以降は急低下した台湾に対し中国の性比はゆっくりと低下している。しかし人口普査のたびにぴょこんと上がったり下がったりするので、本当に低下しているのかも怪しい。

人口の性比(女子100に対し男子)

人口ボーナス

『中国統計年鑑』の年齢3区分別人口は1982年以後の時系列しかない。仕方ないので国連人口部のWorld Population Prospectsから1950年以後の長期時系列を得た。中国の1564歳人口割合は韓国・台湾とだいたい似たような動きをしており、2010年以降は韓国・台湾より急速に低下している。

15〜64歳人口割合

 韓国と台湾は1990年代に先進国並みの生活水準に達し、今や日本を追い越す勢いである。しかし中国の一人当たり所得はまだ1万ドル台で、韓台の半分以下に過ぎない。このように中国は先進国の水準に到達する前に人口ボーナスを使い果たし、今後は韓台と並んで急速な人口高齢化に直面するわけで、中国人としては相対的剥奪感を感じるに十分である。このように豊かになる前に老いさらばえてしまう中国の状況は、「未富先老」と呼ばれてきた。

 

http://finance.people.com.cn/n/2013/0129/c226375-20358216.html

老龄潮来,幸福中“烦恼”能否少一点? [人民网-财经频道 2013-01-30]

https://www.recordchina.co.jp/b69087-s0-c30-d0000.html

生産年齢人口が減少、中国はいかに高齢化を迎えるべきか? [Record China 2013-02-03]

 中国的老龄化社会发展呈现出起步然较晚但是发展较快的特点。更为严重的是,对比发达国家和地区,新加坡进入老龄化社会时人均GDP已经达到将近10000美元,其他发达国家在上个世纪进入老龄化社会时人均GDP都在5000美元左右,而中国在2000年进入老龄化社会时人均GDP只有1000美元左右,俗语说“未富先老”,这更加重了社会老龄化的严峻性。

 中国の高齢化社会の発展は、開始が遅れたが進行が速いという特徴を持つ。先進国・地域を見ると、例えばシンガポールが高齢化社会に突入した際の1人当たりGDP1万ドル弱に達していた。その他の先進国も前世紀に高齢化社会に突入した際、1人当たりGDPが約5000ドルに達していた。しかし中国が2000年に高齢化社会に突入した際、1人当たりGDPはわずか1000ドルほどで、「豊かになる前に年老いる」と称された。これにより、中国高齢化社会の深刻さは増している。

 

 人民日報は危機感を煽るばかりではマズイとでも思ったか、最近は「心配ないさ〜♪」的な論説を出している。しかし中国が中所得国の罠から脱出するのは無理っぽく思える。

 

https://j.people.com.cn/n3/2025/0226/c94475-20281687.html

「未富先老」は中国の人口ボーナス消失を意味するか [人民日報 2025-02-27]

 中国は人口が多いだけでなく、質も高く、「シルバーパワー」が存在感を発揮し、年をとってもますます生き生きとし始めている。新しいボーナスを引き出すことは、期待可能であり、実現可能なことなのだ。さらに視野を広げると、統一して計画し、少子化と高齢化に対応することで、バランスを崩すことが避けられることも分かっている。さらに全面的に改革が深化され、開放が拡大され、新たな人口推移の動向下で、中国式現代化を実現するために、新たな原動力が提供され続けている。一連の戦略的対策を講じて、現状に対応することで、未来は明るくなるのだ。

 

引用文献

国立社会保障・人口問題研究所『人口統計資料集 2026年版』

南亮進牧野文夫編著『アジア長期経済統計3中国』東洋経済新報社,2014.

国家统计编『中国统计2023年版

김낙연박시주박이택차명수한국의 장기통계해남, 2018.

KOSIShttps://kosis.kr/index/index.do

United Nations Population Division, World Population Prospects, 2022.

 

中国の長期時系列 ⑤都市化

都市人口割合

『中国統計年鑑』には城郷別人口の長期時系列があるので、2023年版から19492020年の城鎮人口割合を日本と比較してみた。日本は大正以降都市化が進行したが、戦時中の疎開の影響で市部人口割合は大幅に落ち込んだ。戦後の高度経済成長期に急激に都市化したが、1980年代には減速した。しかし平成の大合併で町村部がどんどん市部に組み込まれ、市部人口割合は90%を超えるに至った。

 中華人民共和国建国時の中国は、人口の90%が農村に住む農業国家だった。1950年代に都市人口は20%前後まで増加したが、大躍進から文化大革命まで毛沢東が無茶苦茶をやっていた期間は都市化は停滞していた。改革開放後は都市化が進んだが、2020年でも城鎮人口は全体の64%で、日本で言えば1960年代の水準である。

都市人口割合

大都市

 北京も上海も19世紀には100万都市だったらしいが、正確な人口はわからない。南・牧野によると、1936年の北京は155万人、上海は378万人で、1935年の東京(588万人)より少なかった。『中国統計年鑑』には地区別人口の長期時系列がない。そこで国連人口部のWorld Urbanization Prospects2025年版を見たが、1975年以後しか載っていなかった。仕方ないので19502010年は2013年版から採り、2025年版の201520年人口と無理やりつなげた。それによると北京・上海とも1990年代に東京を追い越し、特に上海はどえらい勢いで増加を続けている。周辺部の吸収合併も続いているらしく、面積は東京都区部の627.51㎢に対し、上海氏は10倍の6,340.5㎢、北京市に至っては26倍の16,410.54㎢となっている。

東京都区部・北京市・上海市の人口

引用文献

国立社会保障・人口問題研究所『人口統計資料集 2026年版』

南亮進牧野文夫編著『アジア長期経済統計3中国』東洋経済新報社,2014.

国家统计编『中国统计2023年版

United Nations Population Division, World Urbanization Prospects, 2013, 2025.

 

中国の長期時系列 ④経済発展

農耕社会の経済発展

 経済発展とは経済成長率が人口増加を上回って一人当たり所得が増加することだが、農耕社会で持続的な経済発展があったかは難しい問題である。農業生産は耕地の拡大や土地生産性の上昇によって増加するが、マルサスが言うように人口増加はすぐに農業生産に追いて経済発展は止まる。問題は生活水準が元の水準まで戻ってしまうのか、以前より高い水準で安定するのかである。

 日本の江戸時代に目覚ましい経済発展があったのは確かだが、それ以前に長期的な生活水準の向上があったかは明確ではない。しかし日本のようにこれといった人口崩壊がなかった社会では、平安より鎌倉、鎌倉より室町の方が暮らしぶりは良くなったと考えた方が自然だろう。しかし中国のように人口崩壊が頻繁だった社会では、仮に新しいピークが以前より高い水準だったとしても、それに至るまで長期間の生活水準低下があったと思われる。後漢末の人口崩壊から以前の水準を回復するまで500年ほどかかったが、その間数百年は後漢の最盛期を下回る生活水準が続いただろう。元から明初の大崩壊によって、華北や四川の生活水準は宋代のピークまで回復しなかったかも知れない。康熙・乾隆時代には新たなピークに達したが、太平天国の乱をはじめとする内乱の連発で生活水準は大きく低下しただろう。

アジアの一人当たりGDP

 マディソンの超長期逆進推計によると、室町時代までの日本はアジアのど田舎で、中国はもちろんインドやその他のアジアをも下回るど貧民国家だったとされる。それでも戦国時代には停滞するアジア諸国にじわじわと追いつき、18世紀初頭にはインドを追い越し、19世紀初頭には中国も追い越してアジア最高の生活水準に達した。1870年の743ドルはアジア、ラテンアメリカ、アフリカのどの地域よりも高いが、ヨーロッパで最低水準だった東欧の871ドルに及ばなかった。日本が例外的に低い位置から出発して産業化に成功したことは、昔から言われている。

 マディソンによると15001870年の中国の一人当たりGDP600ドルで、増えも減りもしなかった。1600年は朝鮮での対日戦争で経済が疲弊し始めた頃で、1700年は康熙帝の治世で黄金期に向かう時期、1820年は西洋列強の圧力が強まりアヘンが蔓延した時期なのだが、考えるのが面倒臭かったのだろう。しかしアヘン戦争と太平天国の乱を経た1870年には、イギリスの圧政に苦しむインド並みの生活水準まで転落したことになっている。

 

引用文献

A. Maddison, The World Economy: A Millennial Perspective, Paris: Development Centre of the OECD, 2001(アンガス・マディソン(金森久雄監訳、(財)政治経済研究所訳)『経済統計で見る世界経済2000年史』柏書房,2001

 

中国の長期時系列 ③人口密度

地域別人口密度

 中国は広すぎるし省別人口が一国の人口に匹敵するので、全体ではなく地域別の人口密度を見た方が良い。ここでは引き続き中国要部を6ブロックに分けて人口密度の変遷を観察する。

  黄河下流域…河北・山東

  黄河中流域…陝西・山西・河南

  長江下流域…江蘇・安徽・浙江

  長江中流域…江西・湖北・湖南

  長江上流域…四川

  南方…福建・広東・広西

 比較のため鬼頭宏の表にある日本の推計人口から人口密度を計算した。鬼頭は北海道や沖縄の推計人口も載せているので、現在の面積(37万㎢)で割り算した。黄河中流域の人口密度は後漢時代に日本の江戸初期の水準に達しており、三国時代に落ち込んだが隋唐時代には復活した。元から明初にかけての落ち込みようは酷いが、岡本によるとこの時期は世界的な寒冷化とペストの流行で経済はどん底だった。1749(乾隆14)年になってもまだ日本を下回っていたが、その後は停滞する日本を尻目に河北・山東の人口は急増が続き130人/㎢を超えた。一方、陝西・河南・山西の人口は19世紀後半には停滞した。河北・山東の人口も、20世紀前半には停滞していたと見られる。

黄河流域の人口密度

 漢からまでの長江流域はマラリアなどが猖獗する未開の地で、人口密度は日本の奈良・平安時代と大して変わらなかった。しかし長江下流域は盛唐の頃には発展し、日本の室町時代の水準に達していた。宋代には江南デルタの開発で長江下流域の人口は急増し、中流域もこれに続いた。下流域は明初のどん底の状態から素早く立ち直り、中流域も日本と同程度の水準まで回復した。18世紀半ばにはまだ明清交替期の混乱から立ち直っていなかったが、その後人口が急増し下流域の人口密度は1855年に306人/㎢とあり得ない水準に達した。しかし太平天国の乱で下流域の人口は半減し、20世紀前半には停滞していた。

長江流域の人口密度

 四川・福建・広東・広西の人口密度は8世紀まで日本より低かった。宋代には日本と同程度の水準に達したものの、元から明初には落ち込んだが、これには戸籍調査上の問題もある。明代に福建・広東・広西の人口はある程度回復したが、四川省は停滞したままだったことになっている。乾隆期の人口急増によって福建・広東・広西の人口密度は日本に追いつき、四川省も日本の江戸後期の水準に達した。

四川・南方の人口密度

引用文献

上田信『人口の中国史——先史時代から一九世紀まで』岩波新書,2020.

岡本隆司『中国経済史』名古屋大学出版会,2013.

岡本隆司『近代中国史』ちくま新書,2015

鬼頭宏『図説:人口で見る日本史-文時代から近未まで』PHP究所,2007.

 

中国の長期時系列 ②人口分布

人口分布の変遷

 上田信は西暦2年から1953年に及ぶ中国の省別人口の推計値をまとめている。ここでは帝国の版図と期間 (1) 中国 で定義した中国要部について、人口分布の変遷を調べることにする。中国要部は15省からなるが、次の6ブロックに分類する。

  黄河下流域…河北・山東

  黄河中流域…陝西・山西・河南

  長江下流域…江蘇・安徽・浙江

  長江中流域…江西・湖北・湖南

  長江上流域…四川

  南方…福建・広東・広西

 岡本隆司によると黄河本流はしばしば氾濫して手に負えなかったため、古代の農業の中心は支流沿いにあった。周は渭水沿いの関中盆地(長安や咸陽がある)に興ったが、古代には大量の食糧を輸送できなかったので、食糧を食い潰すと王室の方が洛水沿いの洛陽盆地に移った。このように古代の政治的中心は陝西省と河南省を含む黄河中流域だったが、常に河北省や山東省のような黄河下流域の人口を上回ったわけではない。特に陝西省は後漢末の混乱で人口が1/4程度まで激減し、河南省も半減したため、比較的被害が少なかった河北+山東を大幅に下回った。しかし隋唐時代になると黄河中流域は再び黄金時代を迎え、一時は中国人口の4割がこの地域に集中するに至った。宋代には長江流域の人口がぐっと増え、黄河中流域や下流域の人口が25%を超えることは無くなった。明代までは中流域の人口の方が多かったが、清代になると下流域の人口が上回るようになった。

黄河流域が総人口に占めるシェア

 唐代まで長江流域は照葉樹林が繁茂し、わけわからん風土病が猖獗をきわめる野蛮な土地だった。宋代に入ると長江下流の江南デルタの開発が進み、「蘇湖熟天下足」と呼ばれるほどの穀倉地帯になった。元代の1330年には実に人口の74%が長江中・下流域に集中していたことになっている。明代に入ると呉淞江が涸浅し、流域の稲作地帯は水不足となり、桑・麦・麻・木綿等へ転換せざるを得なくなった。代わりに新しく開発された長江中流域が米の供給地となり、「湖広熟天下足」といわれるようになった。それでも長江下流域の方が人口集積が大きく、太平天国の乱(185164)で人口が激減するまで総人口の2535%を占めた。長江中流域のシェアは1525%だった。

長江流域が総人口に占めるシェア

 宋代まで四川省の人口は全体の510%程度だったが、元代には1%まで低下したことになっている。上田によるとこれは先住民族の首長を「土司」に任命して間接統治したため戸口調査の対象にならなかったせいで、リアルな変化ではない。明清交替期の激減は実態に近いと考えられており、清代には周辺から流民が流れ込んで人口が急増した。福建・広東・広西省を合わせても唐代までは5%を超えなかったが、宋代には10%を超えた。上田によるとムスリム商人との交易で栄えた福建省の人口増加が大きかった。元代には華北の人口が激減したため長江流域の人口が74%を占め、南部のシェアも拡大した。清代には客家を含む流民の増加によって、南部は四川とともに高い増加率を示した。

四川と南方が総人口に占めるシェア

引用文献

上田信『人口の中国史——先史時代から一九世紀まで』岩波新書,2020.

岡本隆司『中国経済史』名古屋大学出版会,2013.

岡本隆司『近代中国史』ちくま新書,2015.

 

中国の長期時系列 ①総人口

中国人口史の概要

 若林・聶(2012)は国家人口計画生育委員会発展規画与信息司・中国人口与発展研究中心編『人口与計画生育常用数据手冊』2010年版の「全中国歴代人口数」を再録している。これには紀元前5000年から1912年までの推計人口が示されているが、グラフには紀元後のみ示した。この超長期時系列には、中国史における発展と混迷のサイクルがまとめて刻まれている。

全中国歴代人口数

 後漢最盛期の157(永寿3)年には7000万人を超えた中国人口は、後漢末の混乱で激減した。魏晋南北朝時代(184589)には5000万人以下で停滞したが、岡本隆司によると34世紀は世界的な寒冷期だったことも影響した。隋による統一が成った後の609(大業5)年には5542万人まで回復したが、煬帝の悪政によって隋が滅んだ624(武徳1)年には2274万人まで激減した。盛唐期の755(天宝14)年には8775万人を数え、ようやく漢代の水準を超えた。ところが晩唐から五代十国時代(907960)にかけて人口はズルズルと減少し、北宋建国の960年には3979万人と南北朝時代の水準に戻っていた。

 北宋末の1110(大観4)年には11946万人まで増加していたが、岡本によると江南デルタの開発に加え、徴兵制から募兵制への変化、商業の発達、貨幣経済の盛行、農業技術の発達、金属の大量生産、特産品の開発といった多様な経済変動が関連していた。金の侵入によって宋は1127(靖康2)年に南京に遷都したが、南宋の嘉定(120824)年間になっても12540万人を維持していた。しかし14世紀に入ると気候が再び寒冷化し疫病が蔓延、元の1351(至正11)年の人口は9730万人まで減少していた。

 岡本によると明(13681644)はどん底の経済状態から出発した。しかしヨーロッパの大航海時代が始まり、海外需要に対応して江南の産業は大転換を遂げた。貿易で得た富によって人口は急増し、1566(嘉靖45)年には16480万人に達した。明清交替期には大規模な人口崩壊があり、清(16361912)は1億人未満の人口から出発した。しかし康熙帝(位16611722)から乾隆帝(位173596)にかけての黄金時代に人口は急増し、1691(康熙30)年には1億人を突破、1751(乾隆16)年には2億人を突破した。19世紀前半も人口増加は続き、1805(嘉慶10)年には33218万人、アヘン戦争後の1851(咸豊1)年には43216万人に達した。しかし太平天国による大混乱で1874(同治13)年には35890万人まで減った。その後は欧米列強や日本にやられっ放しの屈辱の歴史が続いたが、中華民国元年(1912)には44294万人まで増加していた。

 

引用文献

岡本隆司『中国経済史』名古屋大学出版会,2013.

若林敬子・聶海松『中国人口問題の年譜と統計:19492012年』お茶の水書房,2012.

 

台湾の長期時系列 ⑤労働力

産業化

 溝口敏行は191540年国勢調査と195690年人口及住宅普査による産業別有業者数の表を載せている。20002020年人口及住宅普査のデータはネットで拾って来た。第一次産業従事者割合は、日本統治下の朝鮮は世帯単位なので厳密には比較できない。それでも緩慢に産業化が進行していたのは確かである。第二次大戦後は韓国・台湾とも似たような感じで産業化が加速した。台湾の1990年の第一次産業割合は高すぎるように思えるが、ネットで確認しても同じ数字が載っていたので採用するしかない。

就業人口に占める第一次産業のシェア

女子の労働力参加

 溝口は女子労働力率が簡単に計算できる表を示していない。仕方ないので男女別・5歳階級別人口から15歳以上女子人口を求め、15歳以上有業女子人口を割って労働力率を計算した。192025年に台湾の女子労働力率が急低下しているが、そもそも1925年は簡易国勢調査なので職業は全数部門に含まれておらず、有業人口も当てにならない。195690年人口及住宅普査による女子労働力率は異様に低く、韓国とは定義の違いがあって比較できないのかも知れない。長期的に女子の労働力参加が進んだのは間違いないだろうが。

女子労働力率

引用文献

김낙연박시주박이택차명수한국의 장기통계해남, 2018.

溝口敏行『アジア長期経済統計1 台湾』東洋経済新報社,2008.

中華民國統計資訊網(https://www.stat.gov.tw/default.aspx)