juraian’s blog

東アジア史、ナショナリズム、反日言説に関する個人研究

日中宇宙開発競争⑧

2010年以降の日本人宇宙飛行士

 山崎直子は日本人では最後のスペースシャトル搭乗者で、それ以降の日本人宇宙飛行士はソユーズやスペースX社のクルードラゴンでISSに向かった。山崎は長期滞在(2009年12月20日〜2010年6月2日)中の野口聡一と2週間ご一緒した。古川聡の1回目の滞在で日本人飛行士の宇宙滞在日数は米露に次いで3位に上がった(読売新聞 2011年7月23日付)。古川は専門の医学分野を中心に、きぼう実験棟で68件の実験を行った(産経新聞 2011年11月23日付)。星出彰彦は滞在中に到着したこうのとり3号(2012年7月21日発射)をロボットアームで捕まえる作業を担当した。星出は2回目の滞在ではISS船長をつとめた。若田光一は2013〜14年の長期滞在で日本人初のISS船長をつとめ、2022〜23年の長期滞在で日本人最多の5回の宇宙飛行を行い、宇宙滞在日数も504日で最長となった。油井亀美也はこうのとり5号(2015年8月19日発射)のドッキング作業を担当した。野口聡一は3度目の滞在で星出彰彦と短期間ご一緒した。第73次長期滞在(2025年4月19日〜12月9日)では、油井亀美也と大西卓哉が長期間ご一緒した。

  山崎直子 2010年4月5〜20日

  古川 聡 2011年7月7日〜11月22日、2023年9月27日〜2024年4月6日

  星出彰彦 2012年7月15日〜11月19日、2021年4月23日〜11月9日

  若田光一 2013年11月7日〜2014年5月14日、2022年9月29日〜2023年3月28日

  油井亀美也 2015年7月22日〜12月11日、2025年4月19日〜2026年7月26日

  大西卓哉 2016年7月7日〜10月30日

  金井宣茂 2017年12月17日〜2018年6月3日

  野口聡一 2020年11月15日〜2021年5月2日

 

2010年以降の中国人宇宙飛行士

 2000年代に宇宙に行った6人の中国人宇宙飛行士のうち、楊利偉以外の5人は2012年の神舟9号以降で再び宇宙旅行をした。その後も続々と宇宙飛行士が誕生しており、女性は劉洋、王亜平、王活沢、黎家盈の4人である。天宮1号とドッキングした神舟9,10号は2週間程度の滞在だったが、天宮2号とドッキングした神舟11号は1ヶ月、神舟12号は3ヶ月、神舟13号以降は6ヶ月の長期宇宙滞在となり、中国の宇宙進出は最終段階に入った。

  景海鵬 神舟9号、神舟11号、神舟16号

  劉旺  神舟9号

  劉洋  神舟9号、神舟14号

  聶海勝 神舟10号、神舟12号

  張暁光 神舟10号

  王亜平 神舟10号、神舟13号

  陳冬  神舟11号、神舟14号、神舟20,21号

  湯洪波 神舟12号、神舟17号

  叶光富 神舟13号、神舟18号

  蔡旭哲 神舟14号、神舟19号

  鄭清明 神舟15号

  張陸  神舟15号

  朱楊柱 神舟16号

  桂海潮 神舟16号

  唐勝傑 神舟17号

  江新林 神舟17号

  李聡  神舟18号

  李広蘇 神舟18号

  宋令東 神舟19号

  王活沢 神舟19号

  陳中瑞 神舟20,21号

  王杰  神舟20,21号

  武飛  神舟21,22号

  張洪章 神舟21,22号

  張志遠 神舟23号

  黎家盈 神舟23号

 有人宇宙船である神舟と宇宙ステーション天宮は全て長征2号F型で打ち上げられている。初代ステーション天宮1号は神舟8号との無人ドッキング、神舟9,10号との有人ドッキングに成功した。天宮1号はいわばドッキング技術練習用で、天宮2号が上がると用済みになり、2018年に大気圏に再突入して廃棄された。

  2011年09月29日 長征2号F-T1 天宮1号

  2011年11月01日 長征2号F遥8 神舟8号(2011年11月17日帰還)

  2012年06月16日 長征2号F遥9 神舟9号(2012年06月29日帰還)

  2013年06月11日 長征2号F遥10 神舟10号(2013年06月26日帰還)

  2016年09月15日 長征2号F-T2 天宮2号

  2016年10月17日 長征2号F遥11 神舟11号(2016年11月18日帰還)

  2017年04月20日 長征7号遥2 天舟1号

  2020年05月05日 長征5号B遥1 次世代有人宇宙船試験機

  2021年04月29日 長征5号B遥2 天和コアモジュール

  2021年05月29日 長征7号遥3 天舟2号

  2021年06月17日 長征2号F遥12 神舟12号(2021年09月17日帰還)

  2021年09月20日 長征7号遥4 天舟3号

  2021年10月16日 長征2号F遥13 神舟13号(2022年04月16日帰還)

  2022年05月09日 長征7号遥5 天舟4号

  2022年06月05日 長征2号F遥14 神舟14号(2022年12月04日帰還)

  2022年07月24日 長征5号B遥3 問天実験モジュール

  2022年10月31日 長征5号B遥4 夢天実験モジュール

  2022年11月12日 長征7号遥6 天舟5号

  2022年11月29日 長征2号F遥15 神舟15号(2023年06月04日帰還)

  2023年05月10日 長征7号遥7 天舟6号

  2023年05月30日 長征2号F遥16 神舟16号(2023年10月31日帰還)

  2023年10月26日 長征2号F遥17 神舟17号(2024年04月30日帰還)

  2024年01月17日 長征7号遥8 天舟7号

  2024年04月25日 長征2号F遥18 神舟18号(2024年11月04日帰還)

  2024年10月30日 長征2号F遥19 神舟19号(2025年04月30日帰還)

  2024年11月15日 長征7号遥9 天舟8号

  2025年04月24日 長征2号F遥20 神舟20号(2026年01月19日帰還)

  2025年07月15日 長征7号遥10 天舟9号

  2025年10月31日 長征2号F遥21 神舟21号(2025年11月14日帰還)

  2025年11月25日 長征2号F遥22 神舟22号(2026年05月29日帰還)

  2026年05月11日 長征7号A遥11 天舟10号

  2026年05月24日 長征2号F遥23 神舟23号(滞在中)

 天宮2号は2016年9月に打ち上げられ、10月には神舟11号とドッキングした。翌年4月には無人補給船である天舟1号とのドッキングにも成功した。天舟シリーズは10号まで打ち上げられ、全て成功している。2020年5月打ち上げの次世代有人宇宙船試験機は神舟の後継機候補で、無人での飛行と地上帰還実験に成功した。その後、天宮2号には天和、問天、夢天といったモジュールが接続され、居住性もかなり向上したらしい。2021年10月の神舟13号以降は、中国の宇宙ステーション(CSS)は無人になったことがない。

中国の宇宙ステーション(CSS)

 初期の宇宙飛行士は軍人のみだったが、2023年の神舟16号からは民間人のペイロード・スペシャリストも搭乗するようになった。桂海潮は工学者で北京航空航天大学教授、王浩沢と王杰は宇宙推進技術研究院研究員、武飛は中国航天科技集団有限公司の技師、張洪章は中国科学院大連化学物理研究所の研究員、黎家盈は香港警察の警司だった。

 

日中宇宙開発競争⑦

2010年代の中国のロケットと衛星

 日本は非主力ロケットも含めると2010年代に40回前後打ち上げたが、中国は長征シリーズだけで200回前後打ち上げた。もちろんその中にはパキスタン、ラオス、サウジアラビア、トルコ、ベラルーシ、ナイジェリア、アルジェリア、ベネズエラ、ボリビアといった外国の衛星も含まれている。自国の衛星としては気象衛星「風雲」、リモートセンシング衛星「遥感」、測位衛星「北斗」、通信放送衛星「中星」、軍事衛星「神通」、科学探査衛星「実践」、データリレー通信衛星「天鏈」といったシリーズ以外に、民間の実用衛星や大学の試験衛星も多数打ち上げた。それに加えて有人宇宙船「神舟」と宇宙ステーション「天宮」をドッカンドッカン打ち上げて米露の国際宇宙ステーションに対抗した。探査機では月探査機「嫦娥」シリーズをガンガン打ち上げ、月探査で日本を大きく引き離した。

 打ち上げ用のロケットとしては、低軌道に25t、静止遷移軌道に14tを送れる長征5号が2016年にデビューし、1号機は実践17号を無事に静止軌道に送り出した。しかし2号機は1段目の動作不良で実践18号の打ち上げに失敗した。長征5号・5号Bは現在まで18回発射され、成功率は94.44%となっている。ちなみに静止遷移軌道には長征5号、低軌道には1段式の長征5号Bが使われている。

長征5号B

 長征6号は低軌道・太陽同期軌道向けで積載能力は1t程度である。1号機は2015年9月に打ち上げられ、固体燃料ブースターを付けた長征6号Aは2022年3月に初めて打ち上げられた。6号と6号Aを合わせてこれまで34回発射されており、成功率100%である。2016年に1号機が発射された長征7号は長征2号Fの後継機で、低軌道に14tを打ち上げられる。改良型の長征7号Aと合わせて27回発射され、成功率は96.3%である。長征11号は固体燃料ロケットで、打ち上げ能力は低軌道に700kgと高くない。2015年以降18回打ち上げられ、成功率100%である。

 中国は2016年から海南島の文昌衛星発射場を運用している。ここは緯度が低くて遠心力を利用しやすく、東側は海なので落下物の被害も防げ、中国で最も有利な発射場と言える。しかし2010年代には数回使われただけで、ほとんどの打ち上げは酒泉衛星発射センター(貴州省)、西昌衛星発射センター(四川省)、太原衛星発射センター(山西省)といった内陸部の発射場で行われた。おかげで落下物の被害がしょっちゅうあるらしく、嫦娥1号打ち上げの際の被害についてはすでに述べた。2010年1月に酒泉で長征3号Cの2号機を発射した際にも、貴州省仁懐市にブースターが落ちて大穴が開き、約30メートル以内にあった草木が焼けこげた(サーチナ 2010年1月18日付)。2015年8月には太原衛星発射センターで打ち上げた長征4号Cのブースターが、遥か南の陝西省安康市旬陽県の民家に降ってきて屋根に大穴を開けた。衝撃波は付近の民家にも広がり、窓ガラスがカタカタと音を立てたという(FOCUS-ASIA.COM 2015年8月31日付)。

 中国は2010年代に長征ロケットを200発ほど狂ったようにぶっ放したが、2011年にロングセラーの長征2号Cが失敗した際には過密スケジュールの弊害を環球網が指摘した。

 

https://www.recordchina.co.jp/b53678-s0-c30-d0000.html

中国が実験衛星打ち上げに失敗、「週に3度はさすがに多すぎ」 [Record China 2011-08-19]

 2011年8月18日、米航空宇宙局(NASA)は公式サイトで、中国が実験衛星「実践11号04星」の打ち上げに失敗した理由について、「1週間に3回も衛星を打ち上げるという過密スケジュールにある」と指摘した。19日付で環球網が伝えた。

 

 2013年12月9日に発射された長征4号Bは資源探査衛星CBERS-3の軌道投入に失敗した。環球時報は「米露だって何度も失敗している」と開き直り、中国ネットでは賛否両論が飛び交った。なお、Wikipediaによると原因は3段目が予定より早く燃焼終了したためだそうである。

 

https://news.livedoor.com/article/detail/8339795/

中国が衛星打ち上げに失敗…言い訳に批判集まる [サーチナ 2013-12-12]

 中国共産党の機関紙・人民日報系の環球時報は、衛星の軌道投入失敗について「ロケット発射に失敗することはごく正常であり、米国やロシアなどの宇宙開発大国は何度もロケット発射に失敗している」と自らを弁護した。今回の衛星打ち上げ失敗について、中国の簡易投稿サイト微博を覗いてみると、「慰めの言葉なんて不要だ。失敗した原因を探せ」「誰も責めてないのに、自ら弁護するなどみっともない」など、微博ユーザーたちからは失敗したことではなく、環球時報が「言い訳」したことに批判が集まっていた。だが、共産党機関紙が“ロケット打ち上げ失敗”のニュースを報道したことを評価するユーザーもおり、「失敗のニュースを報道するとは意外だ。評価したい」とのコメントもあった。

 

 長征ロケットは2015年末までに222回打ち上げられた(Record China 2016年1月11日付)。中国有人宇宙プロジェクトの張柏楠総設計師は読売新聞(2015年3月8日付)のインタビューに「今後5年間で長征ロケットを110回打ち上げ宇宙強国になる」と答えた。数えてみると2015〜19年に長征は確かに110回発射されており、予定通りに進んでいたことがわかる。2018年には39回衛星を打ち上げ、35回のアメリカを抜いて世界一になった(毎日新聞 2018年12月29日付)。

 

日中宇宙開発競争⑥

はやぶさの帰還

 日本の小惑星探査機「はやぶさ」は2003年5月9日にM-Vロケットで打ち上げられ、小惑星1998SF36「イトカワ」を目指した。当初の計画では2007年にはサンプルを持ち帰るはずだったが、最大規模の太陽フレアに遭遇して太陽光パネルが劣化し、リアクションホイールが次々と破損し、タッチダウンの衝撃で燃料が漏れ出し、通信途絶してみそすり運動を始め、帰路でもイオンエンジンが片っ端からダメになどトラブルの連続だった。それでも運用チームは1ビット通信で姿勢を立て直し、太陽光圧でスピンを安定させ、あっちのスラスタの中和機とこっちのスラスタのイオン源を無理やり接続するなどの変態技術で乗り切り、探査機を地球に呼び戻すことに成功した。満身創痍のはやぶさはカプセルを投下しても地球をスイングバイする余力がなく、大気圏に再突入して散華することになった。その散り際は大変なスペクタルで、世界中を驚かせた。

ド派手に燃え尽きるはやぶさの最期

 はやぶさは月より遠い天体への軟着陸とサンプリリターンを初めて成功させ、史上最長距離の飛行を成功させたイオンエンジンμ10の性能はまさに驚異的だった。また何度倒れても立ち上がる姿は日本中を感動させ、プロジェクトマネージャーの川口淳一郎教授は「神がかり的だった。今、こうして(成功の)会見の場にいることが夢のよう」と話した(毎日新聞 2010年6月14日付)。中国や韓国のメディアも、はやぶさの偉業を「不死鳥のよう」「国民の息子」などと伝えた。

 

https://news.livedoor.com/article/detail/4825517/

地球帰還「はやぶさ」は、多くの災難を乗り越えた「不死鳥」 [サーチナ 2010-06-14]

 中国メディア「揚子晩報」は14日、「7年も宇宙を飛んでいた不死鳥が帰ってきた」と題する記事を掲載、「日本の探査機『はやぶさ』が持ち帰ったカプセルの中に、小惑星イトカワで採取した物質が入っていれば、(月面以外からの物質採取という)人類初の快挙となる」と報じた。……中国での報道では、「不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で多くの災難を乗り越えた『はやぶさ』は、尊敬の意を込めて不死鳥と呼ばれている」とした。

https://news.livedoor.com/article/detail/4825911/

はやぶさ帰還「宇宙開発は失敗に屈しない忍耐が大事」 [サーチナ 2010-06-14]

 エンジンなど主要機器のたび重なる故障で満身創痍(そうい)になり、一時は、行方不明状態にまでになったこの探査機が、不可能とも思えた帰還を果たした。日本ではこの探査機を「はやぶさ君」と呼ぶなど、「国民の息子」のような待遇で、無事に帰還することを祈ってきた。

 

 中にははやぶさの軍事的脅威に警鐘を鳴らす軍事評論家もいたが、「バカじゃないの」みたいな反駁を食らった。

 

https://news.livedoor.com/article/detail/4837177/

人類初の快挙「はやぶさ」 軍事への応用は周辺諸国への脅威 [サーチナ 2010-06-19]

 香港の軍事評論家である馬鼎盛氏は「もし日本がこれらの成果を軍事面に応用すれば、中国やその周辺国家にとっては大きな脅威になる」と語った。ただし、北京のある軍事専門家は「はやぶさなど大したことはない。カプセルはたった6キログラム、使用したM5ロケットが推力も小さく、軍事用に応用したところでどうにもならない。また、日本の宇宙事業は商業的マーケットに乏しく、中国の宇宙事業の勢いにはかなわない」と語った。

 

2010年代の日本のロケットと衛星

 2010年代の日本のロケット打ち上げは珍しく好調で、H-2A、H-2B、イプシロンといった主力ロケットに失敗はなかった。失敗したのはマイクロサット打ち上げ機SS-520や民間ロケットMOMOくらいである。

  2010-05-21 金星探査機あかつき(518kg) H-2Aロケット17号機

  2010-09-11 準天頂衛星みちびき1号機 H-2Aロケット18号機

  2011-01-22 ISS補給機こうのとり2号 H-2Bロケット2号機

  2011-09-23 情報収集衛星光学4号機     H-2Aロケット19号機

  2011-12-12 情報収集衛星レーダー4号機 H-2Aロケット20号機

  2012-05-18 水循環変動観測衛星しずく(1.9t) H-2Aロケット21号機

  2012-07-21 ISS補給機こうのとり3号 H-2Bロケット3号機

  2013-01-27 情報収集衛星レーダー4号機・光学5号実証機 H-2Aロケット22号機

  2013-08-04 ISS補給機こうのとり4号 H-2Bロケット4号機

  2013-09-14 惑星分光観測衛星ひさき(335kg) イプシロンロケット試験機

  2014-02-28 全球降水観測計画主衛星(3.75t) H-2Aロケット23号機

  2014-05-24 陸域観測技術衛星だいち2号(2.12t) H-2Aロケット24号機

  2014-10-07 静止気象衛星ひまわり8号(3.5t) H-2Aロケット25号機

  2014-12-03 小惑星探査機はやぶさ2(600kg) H-2Aロケット26号機

  2015-02-01 情報収集衛星レーダー予備機 H-2Aロケット27号機

  2015-03-26 情報収集衛星光学5号機 H-2Aロケット28号機

  2015-08-19 ISS補給機こうのとり5号 H-2Bロケット5号機

  2015-11-24 通信放送衛星Telstar 12 VANTAGE(4.9t) H-2Aロケット29号機

  2016-02-17 X線天文衛星ひとみ(2.7t) H-2Aロケット30号機

  2016-11-02 静止気象衛星ひまわり9号(3.5t) H-2Aロケット31号機

  2016-12-09 ISS補給機こうのとり6号 H-2Bロケット6号機

  2016-12-20 ジオスペース探査衛星あらせ(365kg) イプシロンロケット2号機

  2017-01-24 防衛通信衛星きらめき2号 H-2Aロケット32号機

  2017-03-17 情報収集衛星レーダー5号機 H-2Aロケット33号機

  2017-06-01 準天頂衛星みちびき2号機 H-2Aロケット34号機

  2017-08-19 準天頂衛星みちびき3号機 H-2Aロケット35号機

  2017-10-10 準天頂衛星みちびき4号機 H-2Aロケット36号機

  2017-12-23 気候変動観測衛星しきさい H-2Aロケット37号機

  2018-01-18 高性能小型レーダ衛星ASNARO-2(495kg) イプシロンロケット3号機

  2018-02-27 情報収集衛星光学6号機 H-2Aロケット38号機

  2018-06-12 情報収集衛星レーダー6号機 H-2Aロケット39号機

  2018-09-23 ISS補給機こうのとり7号 H-2Bロケット7号機

  2018-10-29 温室効果ガス観測衛星いぶき2号(1.8t) H-2Aロケット40号機

  2019-01-18 革新的衛星技術実証1号機 イプシロンロケット4号機

  2019-09-25 ISS補給機こうのとり8号 H-2Bロケット8号機

 打ち上げは成功したものの、その後の衛星・探査機の運用まで全て順調だったわけではない。金星探査機「あかつき」は、ソーラー電力セイル実証機「イカロス」と一緒に2010年5月に打ち上げられた。イカロスは正常に帆を展開し、太陽光圧による加速を確認するなど順調にミッションをこなした。ところがあかつきは12月7日にメインエンジンを逆噴射して金星周回軌道に入る予定が、エンジンの故障で金星を通り過ぎてしまった。このためあかつきは次に金星に接近するまで、無駄に太陽の周りを11周するハメになった。そして2015年12月7日に軌道投入に再挑戦し、今度は成功した。あかつきは2025年まで運用され、主要ミッションであるスーパーローテーションの解明に成功した。

 X線天文衛星「ひとみ」は2016年2月17日にH-2Aロケット30号機で打ち上げられ、予定の軌道に入った。ところが3月26日に姿勢制御装置の故障で衛星が回転し始めた。JAXAが委託したNECの社員は回転を止めようと地上からコマンドを送ったが、その数字に誤りがあり、衛星はものすごいスピードで回転し太陽電池パネルなどを引きちぎってしまった。こうして日本が310億円を負担した最新式X線天文衛星はオシャカになり、JAXAはNECから解決金5億円を受け取ることで決着した(時事通信 2017年9月5日付)。

 

日中宇宙開発競争⑤

2000年代の日本人宇宙飛行士

 日本人宇宙飛行士の宇宙行きは1990年代に始まったが、2000年代には次の5人がスペースシャトルまたはソユーズで国際宇宙ステーション(ISS)に向かった。毛利衛と土井隆雄は2回目、若田光一は2回目と3回目のフライトだった。若田の3回目のフライトは日本人初の長期滞在ミッションだった。野口聡一の2回目のミッションでは宇宙に159日間滞在し日本人最長となったが、2014年に若田に抜き返された。

  毛利 衛 2000年2月11〜22日

  若田光一 2000年10月11〜24日、2009年3月15日〜7月31日

  野口聡一 2005年7月26日〜8月9日、2009年12月20日〜2010年6月2日

  土井隆雄 2008年3月11〜25日

  星出彰彦 2008年5月31日〜6月14日

 2008年3月には日本の宇宙実験棟「きぼう」の船内保管室がスペースシャトル「エンデバー」に搭載され、国際宇宙ステーションに接続された。設置作業はISS滞在中だった土井隆雄らが担当した。その翌月には李素妍がソユーズでISSに向かった。聯合ニュースはなぜか日本人宇宙飛行士ではなく、きぼうを引き合いに出して韓国の宇宙進出が日中より遅れていることを嘆いた。ちなみに李素妍の滞在は日本人宇宙飛行士とかぶっておらず、まだ本格的な運用が始まっていなかったきぼうに対しても何もコメントしていない。

 

https://jp.yna.co.kr/view/AJP20080408004500882

韓国人初の宇宙飛行士誕生、有人宇宙開発時代幕開け [聯合ニュース 2008-04-08]

 韓国は世界で36番目の宇宙飛行士輩出国、7番目の女性宇宙飛行士輩出国に、イ・ソヨンさんは世界で49人目、アジアでは日本に続き2人目の女性宇宙飛行士となった。宇宙科学実験国としては12番目だ。2003年に有人宇宙船を発射した中国や、先月に国際宇宙ステーション(ISS)に実験モジュール「きぼう」を打ち上げた日本に比べると、見劣りする成績だ。

 

 2008年6月、ディスカバリーに積まれたきぼうの船内実験室とロボットアームがISSに接続された。2009年7月にはエンデバーで運ばれた船外プラットフォームが取り付けられ、きぼうは完成した。同年9月、日本はH-2Aの増強版であるH-2BロケットによってISS補給戦HTV(後にこうのとり1号とも呼ばれる)を打ち上げ、ISSとのドッキングに成功した。H-2Bの積載能力(低軌道)は19tで当時運用されていたどの長征ロケットよりも大きく、中国メディアは「日本のロケット技術は中国のそれを全面的に超越した」と報道した(サーチナ 2009年9月18日付)。25tを低軌道に上げられる長征5号Bの初飛行は2016年11月である。一方、北朝鮮はH-2Bロケットの発射に対し「軍事大国化に向けた宇宙武器体系開発策動」だと非難した(聯合ニュース 2009年9月22日付)。

HTV初号機(こうのとり1号)

2000年代の中国人宇宙飛行士

 中国は1992年の「921工程」に沿って有人宇宙飛行計画を進め、ソユーズを改良した有人宇宙船「神舟」シリーズを開発した。最大搭乗人数は3人だが、神舟1〜4号は1999〜2002年に無人で試験発射され、いずれも帰還カプセルは内蒙古自治区に着地した。打ち上げには長征2号Eを改良した長征2号Fが用いられた。2006年には楊利偉空軍中佐を載せた神舟5号が無事帰還し、中国は米ソに次いで史上3番目に有人宇宙飛行を成功させた国になった。ちなみに楊利偉は宇宙から万里の長城が見えなかったことから、「長城が月から見えるというのはデマだ!」と告発した。その後、神舟6号では2人、神舟7号では3人の中国人宇宙飛行士が誕生した。2000年代の中国人宇宙飛行士は次の6人で、翟志剛と劉伯明は宇宙遊泳を成功させた。

  楊利偉 神舟5号(2003年10月15〜16日)

  費俊龍 神舟6号(2005年10月12〜16日)

  聶海勝 神舟6号(2005年10月12〜16日)

  翟志剛 神舟7号(2008年9月25〜28日)

  劉伯明 神舟7号(2008年9月25〜28日)

  景海鵬 神舟7号(2008年9月25〜28日)

 翟志剛の船外活動中に水泡にも見える物体が上がって行く様子が映っていたことから、中国ネットではアポロ11号のハリウッド撮影説のような陰謀論が巻き起こった。劉伯明飛行士は、問題の物体は自分たちが使ったメモの紙片だろうと述べた(サーチナ 2008年9月30日付)。

 

https://biz.chosun.com/site/data/html_dir/2008/09/30/2008093001115.html

"우주에 웬 물방울이…" 중국 우주유영장면 조작설 나와 [朝鮮日報 2008-09-30]

중국이 독자적인 기술로 쏘아 올린 유인우주선 ‘선저우(神舟) 7호’의 우주유영 장면이 물 속에서 찍었을 가능성이 있다는 ‘우주 유영 조작설’이 인터넷에서 퍼지고 있다. ……이 동영상을 본 네티즌들은 기포가 위쪽으로 빠르게 떠오르는 건 중력이 작용하는 지구에서 가능한 일이라면서 우주유영 장면만 수중에서 찍었을 가능성이 높다고 지적하고 있다.

中国が独自の技術で打ち上げた有人宇宙船「神舟7号」の宇宙遊泳の場面が水中で撮った可能性があるという「宇宙遊泳操作説」がインターネットで広がっている。……この動画を見たネチズンたちは、気泡が上方へ早く浮び上がるのは重力が作用する地球で可能なことだとして、宇宙遊泳場面だけ水中で撮った可能性が高いと指摘している。

船外活動中の翟志剛船長

 

日中宇宙開発競争④

H-2Aと長征3号B

 1990年代に日本の主力ロケットだったH-2は、打ち上げ費用の高さが祟って一度も海外衛星の打ち上げを受注できなかった。NASDAと三菱重工はコストダウンと信頼性回復を目指し、改良型のH-2Aロケットを開発して2001年に就航させた。H-2Aは2025年まで50回発射され、98%の高い成功率を誇った。そのうちオーストラリアの超小型衛星FedSat、韓国の多目的実用衛星アリラン3号、アメリカの全球降水観測衛星GPM、カナダの通信放送衛星Telstar 12 VANTAGE、UAEの地球観測衛星KhalifaSatと火星探査機HOPE、フィリピンの災害監視・天然資源観測衛星DIWATA-2B、イギリスの通信衛星Inmarsat-6 F1の打ち上げを成功させた。H-3が開発されたことで、H-2Aロケットは2025年退役した。

 長征3号Bは1996年2月15日に1号機発射に失敗し大惨事になったが、めげずに117回発射され95.73%の成功率となっている。H-2Aはブースター4本で15tのペイロードを低軌道に上げられるが、長征3号Bは12tを打ち上げることができる。1号機は発射直後に地上に落下して爆発、先述のように死者60人を出す大惨事になった。8号機(2009年8月31日)は3段目の動作不良でインドネシア通信衛星Palapa-Dを軌道に乗せられなかったが、衛生自体のエンジンで軌道に乗った。28号機(2017年6月19日)も3段目の不調で中星9号Aを軌道に乗せられず、修正に2週間かかった。71号機(2020年4月9日)では3段目が点火せず、インドネシアの通信衛星Palapa-N1を失った。ちなみに長征3号ファミリーではブースター4本が付いた長征3号Bが最も積載能力が高く、ブースター2本の長征3号Cがそれに次ぎ、ブースターなしの長征3号Aはより軽い衛星・探査機の打ち上げに使われる。打ち上げ回数は長征3号Bの117回に対し、長征3号Aが27回、長征3号Cが20回となっている。外国の商用衛星打ち上げは主に長征2号Cと長征3号Bが請け負っているが、長征3号Bが打ち上げた主な外国の衛星(相乗りでないもの)は次の通りである。

  1997-08-20 長征3号B遥2 フィリピン馬部海1号

  2007-05-14 長征3号B遥9 ナイジェリア通信衛星1号

  2008-10-30 長征3号B遥12 ベネズエラ通信衛星1号

  2009-08-31 長征3号B遥8 インドネシア通信衛星Palapa-D ※一部失敗

  2011-08-12 長征3号B遥19 パキスタン通信衛星1R

  2011-10-07 長征3号B遥18 欧州通信衛星W3C

  2011-12-20 長征3号B遥21 ナイジェリア通信衛星1R

  2013-12-21 長征3号B遥27 ボリビア通信衛星

  2015-11-21 長征3号B遥38 ラオス通信衛星1号

  2016-01-16 長征3号B遥29 ベラルーシ通信衛星1号

  2017-12-11 長征3号B遥40 アルジェリア通信衛星1号

  2020-04-09 長征3号B遥71 インドネシア通信衛星Palapa-N1 ※失敗

  2024-05-30 長征3号B遥98 パキスタン多目的通信衛星

 

かぐやと嫦娥1号

 2007年から2009年にかけて、日米中印の4機の探査機が月周回軌道を回るという月探査ブームがあった。先陣を切ったのは日本の「かぐや」で、2007年9月14日にH-2Aロケット13号機で打ち上げられ、10月4日に月周回軌道に投入された。中国の嫦娥1号は約1ヶ月遅れて10月24日に長征3号A型14号機で打ち上げられ、11月5日に月周回軌道に入った。インドのチャンドラヤーン1号はその1年後の2008年10月22日にPSLV-XLで打ち上げられ、11月12日に月周回軌道に到達した。アメリカのルナー・リコネサンス・オービター(LRO)は2009年6月18日にアトラスV 401型で打ち上げられ、5日後には早くも月を周回し始めた。8月29日にはチャンドラヤーン1号の通信が途絶したから、4機同時に回っていたのは2ヶ月余りということになる。

 嫦娥1号を載せた長征3号A遥14は貴州省の酒泉衛星発射センターから打ち上げられたが、落っこちてきた一部の部品が貴州省内の民家を直撃した(サーチナ 2007年10月26日付)。11月には嫦娥1号が撮影した月面写真が公開されたが、グーグル・ムーンのサイトからの盗用だという陰謀論が盛り上がった。

 

https://www.epochtimes.jp/2007/11/9306.html#google_vignette

「嫦娥一号」初月面写真偽造疑惑、中国ネット上で大議論 [大紀元 2007-11-27]

 26日、中国国家宇宙航空局は、「嫦娥一号」が撮影したとされた一枚の月面写真を公表した。温家宝総理が自ら写真の披露式を行い、中国が世界先進国に立つ自信を宣告した。当日の新華ネットは「嫦娥一号」の関連報道一色となった。しかし、写真は公表されてまもなく、多くのインターネット掲示板から、グーグル・ムーンのサイトの月面写真の偽造である声が上がってきた。

 

 かぐやは月面の100km上空からハイビジョン撮影を行い、普通に考えれば200km上空から撮った嫦娥1号の写真より鮮明なはずだが、中国評論新聞は「光度が足りない」とケチをつけてきた。

 

https://www.recordchina.co.jp/b13225-s0-c30-d0000.html

<嫦娥1号>中国「嫦娥1号」VS日本「かぐや」!どちらの宇宙写真がきれい? [Record China 2007-11-28]

Record China 2007年11月28日付

 

日中宇宙開発競争③

日中の宇宙飛行士輩出計画

 宇宙飛行士に該当する中国語は「宇航员(宇宙航行员)」や「航天员」だが、韓国語の「우주인(宇宙人)」ほど面白くないので、ここでは「宇宙飛行士」で通す。南北朝鮮宇宙開発競争③ に書いたように、最初に宇宙に行った日本人はTBSの秋山豊寛記者(1990年12月3〜10日にISS滞在)だが、本来は毛利衛が先に行くはずだった。NASDAは1983年に日本人をスペースシャトルに搭乗させる計画をたて、1985年に毛利衛、向井千秋、土井隆雄の3人を最初の日本人宇宙飛行士に選定した。本来なら1988年初頭に日本人初の宇宙飛行士が誕生するはずだったが、1986年のチャレンジャー号事故のため大幅に遅れ、毛利のISS滞在は1992年9月にずれ込んだ。向井千秋は1994年7月と1998年10〜11月、土井隆雄は1997年11月にスペースシャトルとISSに搭乗した。また日本人初のミッションスペシャリストになった若田光一は、1996年1月のミッションでロボットアーム操作を担当した。

 先述のように中国の有人飛行計画は1986年の「863計画」に端を発し、1992年には「三歩走」発展戦略(921工程)が決定された。3段階中の第1段階は有人宇宙船「神舟」による宇宙との往復で、第2段階は宇宙ステーション「天宮」での短期滞在、第3段階は長期滞在となっていた。中国は1995年にロシアと有人衛星技術供与協定を結び、提供されたソユーズ宇宙船を改良して神舟シリーズを開発した。神舟1号は1999年11月に長征4号Fロケットで打ち上げられ、帰還カプセルを内蒙古自治区に着陸させた。実際の有人宇宙飛行は、2003年10月発射の神舟5号で実現した。

 

1990年代の日本のロケットと衛星

 文部省宇宙科学研究所(ISAS)と日産は固体燃料によるミューロケットの最終形態であるM-Vを完成させ、1997年に1号機を打ち上げた。2号機はLUNAR-A月探査計画の探査機を打ち上げるはずだったが、月に打ち込むペネトレータが開発できなかったため中止となった。3号機による火星探査機「のぞみ」の打ち上げは成功したが、探査機に故障が相次ぎ火星周回軌道に乗れなかった。

 宇宙開発事業団(NASDA)と三菱重工は第1段用の純国産エンジンLE-7の開発を進めたが、開発中の1991年に爆発事故で技術者1名が死亡した。第1段にLE-7、第2段にLE-5を使った純国産のH-2ロケットは1994〜97年に7回打ち上げられたが、打ち上げ費用の高さが課題だった。5号機では2段目の燃焼時間が短く通信放送技術衛星「かけはし」を予定の軌道に投入できなかったが、衛星のアポジエンジンを吹かして軌道に乗った。8号機は飛行中1段目エンジンが破損し、太平洋に落下した。8号機の失敗を受けて、7号機の打ち上げは中止になった。そんなこんなで1990年代のロケット打ち上げは17回で、1970〜80年代より少なかった。

  1990-01-24 工学実験衛星ひてん(197kg)M-3SIIロケット5号機

  1990-02-07 地球観測衛星もも1号b(740kg)H-1ロケット6号機

  1990-08-28 静止放送衛星ゆり3号a(550kg)H-1ロケット7号機

  1991-08-25 静止放送衛星ゆり3号b(1.115t)H-1ロケット8号機    

  1991-08-30 太陽観測衛星ようこう(390kg)    M-3SIIロケット6号機

  1992-02-11 地球資源衛星ふよう1号(1.34t)H-1ロケット9号機     

  1993-02-20 X線天文衛星あすか(420kg)M-3SIIロケット7号機

  1994-02-04 大気圏再突入実験機りゅうせい(865kg)H-2ロケット1号機

  1994-08-28 技術試験衛星きく6号(3.8t)H-2ロケット2号機

  1995-01-15 回収型衛星EXPRESS(765kg)M-3SIIロケット8号機 ※失敗

  1995-03-18 静止気象衛星ひまわり5号(747kg)H-2ロケット3号機

  1996-08-17 地球観測衛星みどり(3.56t)H-2ロケット4号機

  1997-02-12 電波天文衛星はるか(830kg)M-Vロケット1号機

  1997-11-28 技術試験衛星きく7号(2.54t+410kg)H-2ロケット6号機

  1998-02-21 通信放送技術衛星かけはし(3.96t)H-2ロケット5号機 ※一部失敗

  1998-07-04 火星探査機のぞみ(541kg)M-Vロケット3号機

  1999-11-15 運輸多目的衛星1号(3.3t)H-2ロケット8号機 ※失敗

 

1990年代の中国のロケットと衛星

 打ち上げが減った日本とは逆に、中国はお手頃価格を武器に商用通信衛星打ち上げ市場に殴り込みをかけ、外国の衛星をバンバン打ち上げた。当初請負発射に使われたのは長征2号Eで、1〜3号機はパキスタンとオーストラリアの通信衛星の打ち上げに成功した。しかし4号機は飛行中フェアリングの破損で積んでいたオーストラリアのOptus B2も破損した。6号機は香港の通信衛星を積んで1995年1月に発射されたが、打ち上げ直後に爆発し20人以上の死者を出した。香港の別の会社の通信衛星を積んだ7号機では加速中に衛星が破損し、一部失敗と評価された。長征2号Eの発射は8回で終了した。一方、ロングセラーの長征2号Cはアメリカのイリジウム通信衛星をドッカンドッカン発射した。

 より大きな外国衛星の打ち上げには長征3号Bが使われた。ところが1996年2月に発射された1号機は発射直後に暴走して近くの村に突っ込み、Wikipediaによると死者60人、負傷者157人という大惨事になった。ちなみに日本では開発中はともかく、ロケット発射時の死亡事故は起きていない。1号機の大惨事にもかかわらず、長征3号Bはフィリピンや香港の通信衛星や中国の放送衛星中星シリーズを次々と打ち上げた。ちなみに香港の亜洲衛星有限公司と亜太衛星有限公司はライバル関係だそうである。

  1990-02-04 東方紅2号(実用同期衛星03星) 長征3号

  1990-04-07 香港亜洲1号 長征3号   

  1990-07-16 パキスタンBadr-1 長征2号E遥1

  1990-09-03 風雲号B 長征4号A      

  1990-10-05 尖兵1号返回式1号 長征2号C遥9      

  1991-12-28 東方紅2号(実用同期衛星04星) 長征3号 ※失敗

  1992-03-22 豪 Optus B1 長征2号E遥2

  1992-08-09 尖兵1号乙 長征2号D遥1

  1992-08-14 豪 Optus B1 長征2号E遥3      

  1992-10-06 尖兵1号返回式1号 長征2号C遥10     

  1992-12-21 豪 Optus B2 長征2号E遥4 ※一部失敗

  1993-10-08 尖兵1号返回式1号 長征2号C遥11     

  1994-02-08 実践4号 長征3号A遥901201

  1994-07-03 尖兵1号乙 長征2号D遥2

  1994-07-21 香港亜太1号 長征3号

  1994-08-28 豪 Optus B3 長征2号E遥5

  1994-11-30 東方紅3号01星 長征3号A遥901302    

  1995-01-26 香港亜太2号 長征2号E遥6 ※失敗(死者20以上)

  1995-11-28 香港亜洲2号 長征2号E遥7 ※一部失敗

  1995-12-28 米 Echo Star 1 長征2号E遥8

  1996-02-15 国際通信衛星708号 長征3号B遥1 ※失敗(死者60)

  1996-07-03 香港亜太1A 長征3号

  1996-08-18 中星7号 長征3号 ※失敗

  1996-10-20 尖兵1号乙 長征2号D遥3

  1997-05-12 東方紅3号02星 長征3号A遥901303    

  1997-06-10 風雲2号A 長征3号      

  1997-08-20 フィリピン馬部海1号 長征3号B遥2

  1997-09-01 米イリジウム通信衛星 長征2号C-SD遥1

  1997-10-17 香亜太2号R 長征3号B遥3

  1997-12-08 米イリジウム通信衛星 長征2号C-SD遥2

  1998-03-26 米イリジウム通信衛星 長征2号C-SD遥3

  1998-05-02 米イリジウム通信衛星 長征2号C-SD遥4

  1998-05-30 中星5号A 長征3号B遥5

  1998-07-18 中星5号B 長征3号B遥4

  1998-08-20 米イリジウム通信衛星 長征2号C-SD遥5

  1998-12-19 米イリジウム通信衛星 長征2号C-SD遥6

  1999-05-10 風雲1号C 長征4号B

  1999-06-12 米イリジウム通信衛星 長征2号C-SD遥7

  1999-10-14 CBERS-1 長征4号B

  1999-11-20 神舟1号 長征2号F遥1  

長征3号B

 下の記事によると多維網はH-2ロケットの登場によって中国は日本に大きく引き離されたと評価した。確かに第1段エンジンは液体水素を使うLE-7の方が先進的だったが、1996年に初飛行した長征3BはH-2を上回る積載能力を持った。科学探査と液体水素エンジンでは日本が上回ったかもしれないが、中国は打ち上げコストの低さを武器に外国の商用衛星をバンバン打ち上げており、総合的に日本がリードしていたと見るのは難しい。

 

https://www.recordchina.co.jp/b154353-s0-c20-d0042.html

日本と中国のロケット技術はどちらが上か、新型長征ロケットで日中逆転 [Record China 2016-11-06]

 日中の宇宙開発史はほぼ同時期にスタートしたわけだ。しかし日本は米国との技術協力を進める一方で国内での技術開発も続け、1994年には当時世界最先端の性能を誇るH2ロケットの打ち上げに成功。中国を大きく引き離した。一方の中国はロケットの打ち上げ実績こそ積んできたものの、エンジンは1960年代の技術。ロケット全体の設計にも大きな変化はなく、日本との技術格差は大きかった。

日中宇宙開発競争②

1980年代の日本のロケットと衛星

 東大と日産による固体燃料ロケットM-3SはM-3Hとあまり能力差がなかったが、M-3SIIでは性能が大幅に向上し、探査機を惑星間軌道に投入できるようになった。日本はこれによって「さきがけ」「すいせい」を打ち上げ、日米ソ欧の探査機7機から成る「ハレー艦隊」に参加した。さきがけとすいせいはハレー彗星から離れた位置で太陽風やプラズマを観測する地味な役割を果たした。最も派手に活躍したのは欧州宇宙機関(ESA)のジオットで、彗星に600kmまで接近して写真を撮りまくった。

  1980-02-17 試験衛星たんせい4号(185kg)M-3Sロケット1号機

  1980-02-22 静止通信衛星あやめ2号(130kg)N-1ロケット6号機 ※失敗

  1981-02-11 静止衛星きく3号(638kg)N-2ロケット1号機

  1981-02-21 太陽物理学衛星ひのとり(188kg)M-3Sロケット2号機

  1981-08-10 静止気象衛星ひまわり2号(669.5kg)N-2ロケット2号機

  1982-09-03 技術試験衛星きく4号(385kg)N-1ロケット7号機

  1983-02-04 静止通信衛星さくら2号a(670.5kg)N-2ロケット3号機

  1983-02-20 X線天文衛星てんま(216kg)M-3Sロケット3号機

  1983-08-06 静止通信衛星さくら2号b(350kg)N-2ロケット4号機

  1984-01-23 静止放送衛星ゆり2号a(350kg)N-2ロケット5号機

  1984-02-14 中層大気観測衛星おおぞら(207.3kg)M-3Sロケット4号機

  1984-08-10 静止気象衛星ひまわり3号(303kg)N-2ロケット6号機

  1985-01-08 彗星探査試験機さきがけ(138kg)M-3SIIロケット1号機

  1985-08-19 彗星探査機すいせい(139.5kg)M-3SIIロケット2号機

  1986-02-12 静止放送衛星ゆり2号b(350kg)N-2ロケット7号機

  1986-08-13 測地実験衛星あじさい(685.2kg)H-1ロケット1号機

  1987-02-05 X線天文衛星ぎんが(420kg)M-3SIIロケット3号機

  1987-02-19 地球観測衛星もも1号(740kg)N-2ロケット8号機

  1987-08-27 技術試験衛星きく5号(1.096t)H-1ロケット2号機

  1988-02-19 静止通信衛星さくら3号a(650kg)H-1ロケット3号機

  1988-09-16 静止通信衛星さくら3号b(550kg)H-1ロケット4号機

  1989-02-22 磁気圏観測衛星あけぼの(295kg)M-3SIIロケット4号機

  1989-09-06 静止気象衛星ひまわり4号(303kg)H-1ロケット5号機

 宇宙開発事業団と三菱重工はN-1ロケットの改良型であるN-2ロケットの開発を進め、1981年にきく3号(638kg)の打ち上げを成功させた。N-2は低軌道に2t、静止移行軌道に730kgのペイロードを打ち上げることができ、中国の長征2号Aに近い能力だった。しかし中国は1982年には2.5tを低軌道に上げられる長征2号Cを就航させた。長征2号Cは今でも現役のロングセラーで、Wikipedia中国語版によると2026年3月まで87回発射され97.7%という高い成功率を誇っている。

 日本のN-1,N-2はデルタロケットのライセンス生産方式で、打ち上げにはアメリカの許可が必要で、一部技術はブラックボックスとされ習得できなかった。NASDAと三菱重工は純国産化の前段階として、国産化率を上げた液体水素エンジンを持つH-1ロケットを開発した。1段目は相変わらずデルタロケットを用いたが、2段目には三菱重工と石川島播磨重工が開発したLE-5エンジンを用いた。ペイロードは低軌道に2.2t、静止移行軌道に1.1tを上げる能力があった。H-1は9回発射され、成功率100%のまま1990年代にH-2に主力ロケットの座を譲った。

H-1ロケット

1980年代の中国のロケットと衛星

 中国は失敗続きの風暴1号を見限り、1980年代には長征2号Cに加え長征3号と長征4号Aを投入した。低軌道向けの長征2号Cに対し、長征3号は静止衛星の打ち上げに用いられた。Wikipediaによると2000年まで13回発射され、成功率は76.92%とあまり高くなかった。1984年4月に2号機が打ち上げた東方紅2号(試験通信衛星)が中国最初の静止衛星らしい。ちなみに1月に発射した1号機では衛星が静止軌道に乗らなかった。長征4号Aは長征3号の1,2段目に新たに開発した3段目を乗せたものだが、1988年と1990年に気象衛星風雲1号を2回発射しただけで終わった。

  1981-09-20 実践2号 風暴1号

  1982-09-09 尖兵1号返回式0号 長征2号C遥1

  1983-08-19 尖兵1号返回式0号 長征2号C遥2

  1984-01-29 東方紅2号(試験通信衛星) 長征3号 ※一部失敗

  1984-04-08 東方紅2号(試験通信衛星) 長征3号

  1984-09-12 尖兵1号返回式0号 長征2号C遥3

  1985-10-21 尖兵1号返回式0号 長征2号C遥4

  1986-02-01 東方紅2号(実用放送通信衛星) 長征3号

  1986-10-06 尖兵1号返回式0号 長征2号C遥5

  1987-08-05 尖兵1号返回式0号 長征2号C遥6

  1987-09-09 尖兵1号返回式1号 長征2号C遥7

  1988-03-07 東方紅2号(実用同期衛星01星) 長征3号

  1988-08-05 尖兵1号返回式1号 長征2号C遥8

  1988-09-06 風雲1号A 長征4号A

  1988-12-22 東方紅2号(実用同期衛星02星) 長征3号

 日本が静止軌道に花の名前シリーズをじゃんじゃん打ち上げると、中国も負けじと長征3号ロケットで東方紅2号を静止軌道に投入してきた。中国は1980年代になっても回収式偵察衛星である尖兵1号をせっせと発射していたが、どこを偵察していたのだろうか。風雲シリーズは中国初の実用気象衛星で、1号は極軌道、1990年代に打ち上げられた2号は静止軌道に投入された。Wikipedia英語版によると風雲1号Aは750kgということで、ひまわり4号よりかなり重い。

 現在有人宇宙飛行と宇宙ステーション等で完全に日本を引き離した中国だが、小原凡司によるとその源は1986年の鄧小平の指示だったという。

 

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/9010

日本人が知らない中国の宇宙開発の脅威 [Wedge 2017-03-02]

 中国の宇宙開発は、長足の進歩を遂げている。有人宇宙開発もその一つである。中国の有人宇宙開発も三段階の発展戦略に基づいている。1992年9月21日に決定された有人宇宙開発の「三歩走」発展戦略(921工程)は、1986年にトウ小平氏が指示した「863計画」に基づくものだ。

 

 中国は世界の衛星発射請負市場でも日本を大きくリードしているが、その発端も1980年代にあった。

 

https://j.people.com.cn/n3/2017/1012/c95952-9279042.html

「宇宙強国」の夢実現へ、長征ロケットが252回目の打ち上げ [人民日報 2017-10-13]

 竜氏によると、中国は1985年に長征ロケットを国際商業打ち上げに応用することを宣言。まず投入されたのは長征3号で、主力は長征3号甲シリーズ。「1990年4月にアジア1号を打ち上げてから現在まで、国際商業衛星の打ち上げを57回行っており、国際商業打ち上げ市場で一定のシェアを占めている」とした。