juraian’s blog

東アジア史、ナショナリズム、反日言説に関する個人研究

韓国と台湾、成長の軌跡 (6) 人口問題

人口増加

 朝鮮と台湾の死亡率は日本時代にかなり下がったが、出生率は高いままだった。1950年代になると日本時代にも増して高い自然増加率が現れ、韓国と台湾の人口は物凄い勢いで増加し始めた。1950〜1960年代の年平均人口増加率を見ると、韓国は2%を超え、台湾に至っては3%以上という気違いじみた数字だった。こうして韓国・台湾の人口密度はあっさり日本を追い抜き、人口過密社会になった。それでも朝鮮戦争を経験したばかりの韓国と大陸反攻をめざす台湾では「人口すなわち国力」という考え方が根強く、1950年代末まで人口増加率を抑制しようという機運は現れなかった。

国立社会保障・人口問題研究所、韓国統計庁、行政院主計総処

出生力低下

 崔恩鈴らによると、朴正煕政権は第1次経済開発5ヶ年計画(1962〜66年)の要綱で高い人口増加率が経済発展を阻害しているという認識を明らかにし、家族計画事業の推進を決定した。そのために1961年に大韓家族計画協会が発足させ、翌年発表した人口政策でも家族計画事業の必要性を強調した。1963年に保健社会部と経済企画院が作成した家族計画事業10ヶ年計画では、1971年までに有配偶婦人の避妊実践率を45%に上げ、人口増加率を2%に下げることを目標とした。そのため経口避妊薬を盛んにばら撒き、女性のIUD装着と男性不妊手術を奨励した。

 陳肇男によると台湾では1950年代から高過ぎる人口増加率に警鐘を鳴らす声はあったが、大陸反攻のために人口は多い方がよいとする国民政府の態度を変えさせたのは蒋夢麟の「譲我們面對日益切迫的台灣人口問題」(1959)だった。政界・官界でも出生抑制に賛同する者が増え、同年から台中市を中心に家族計画プログラムが実験的に試行された。1964年からは台湾全島に拡大され、政府は小家族の利点を宣伝し、保健所所属の「家庭計畫工作員」が家庭訪問して避妊具を配った。このように韓国・台湾は1960年前後に、ほぼ同時に政府主導の家族計画プログラムを推進し始めた。その結果、1960年代には出生率が低下し始め、人口増加は減速した。

 下の図は1980〜2020年の日本・韓国・台湾の合計出生率の推移を示したものである。新聞などでは「合計特殊出生率」と書かれることが多いが、Total Fertility Rate (TFR)の訳語としては「合計出生率」の方がふさわしい。ちなみに韓国語では「合計出産率」、中国語では「總生育率」と言い、「特殊」などとは言わない。ともあれ、韓国・台湾の合計出生率は1980年代半ばには2.0を下回り、これより低い水準が続くといずれ人口が減少し始める「置換水準」を割り込んだ。その後一時的に日本を下回ったが、1990年代はおおむね日本よりは高い水準で推移した。ところが21世紀に入ると韓国・台湾の合計出生率は世界最低水準まで急低下し、日本が経験したことのない1.2未満の水準が続いた。2006〜16年は台湾の方が低かったが、その後は韓国が世界最低水準に君臨し続け、2020年以後は1.0を下回るとんでもなく低い率が続いている。合計出生率が1.0以下ということは、ひとりの女性が0.5人以下の娘しか産まないということになり、一世代で人口が半分以下に減ることを意味する。

国立社会保障・人口問題研究所、韓国統計庁、行政院主計総処

 韓国統計庁によると韓国人口のピークは2020年の5184万人、行政院主計総処によると台湾人口のピークは2019年の2360万人で、ほぼ同時に長期人口減少局面に入っている。日本の場合、合計出生率が初めて置換水準を割ったのは1957年で、それから人口が減り始めるまで50年かかっている。一方韓国と台湾の場合、1980年代半ばに置換水準に達してから人口減少開始まで35年ほどしかかからなかった。韓国・台湾の変化は何事につけて日本よりスピーディで激甚なものが多い。

 

引用文献

최은령・박세경・이삼식・조남훈・최병오『한국의 저출산관련 사회경제적요인과 정책여건』한국보건사회연구원,2005.

陳肇男・孫得雄・李棟明『台灣的人口奇蹟—家庭計畫政策成功探源』聯經出版公司, 2003.