
崔溥(1454〜1504)は朝鮮前期の文臣で、1487年に推刷敬差官として済州島に赴任し、翌年中国に漂流したが生還した。1488年閏正月3日に朝鮮本土に向けて済州島を出港した崔溥らは、暴風に流され浙江省台州府臨界県牛頭付近に漂着した。海門衛で尋問の後、北京に護送されることになり、寧波・紹興・杭州・嘉興・蘇州・臨清・滄州等を経て3月末北京に到着した。4月24日に北京を発ち、6月4日に鴨緑江を越え帰国した。原文は韓国古典翻訳院(http://db.itkc.or.kr)による。김찬순の現代韓国語訳を参考に解読した。
又遞至二十餘里。其里中有大橋。里人皆揮稜杖。亂撃臣等。肆虣劫奪太甚。吳山者負臣馬鞍。有一人敺撃攘去。臣等被杖前驅。顚仆哭泣。過二嶺。見遞他里。向曙。
また護送者が交替して二十里余りを歩いた。その村には大きな橋があり、村人たちはみなこん棒を振り回してわれわれをぶん殴って乱暴狼藉の限りを尽くした。呉山が私の馬の鞍を担いでいたが、村人のひとりが呉山を殴って鞍を奪って行った。われわれは棒で殴られ追い立てられ、転んでは泣き叫んだ。峠をふたつ越え、護送者が交替し次の村にたどり着く頃には夜が明けかけていた。
凡爲劫盜者。殺越人于貨。肆暴無忌。今江南人。雖或被利心所使。爲盜爲劫者有之。然下山之盜。不殺臣等。且有遺物。仙岩之人。不隱所劫。竟還奪鞍。可以觀風氣柔弱。人心不甚暴惡之驗也。
およそ強盗をする者は財物のためなら暴力を振るうのはもちろん、人殺しも躊躇しない。ここ江南の人も、物欲に駆られて強盗を働くことはある。しかし下山の海賊たちはわれわれを殺しはせず、かえって物を恵んでくれた。仙岩の人たちも盗品を隠さず、結局馬の鞍を返してくれた。これを見るとここの気風は柔和で、人心は甚だしく暴虐というわけではない。
杭卽東南一都會。接屋成廊。連衽成帷。市積金銀。人擁錦繡。蠻檣海舶。櫛立街衢。酒帘歌樓。咫尺相望。四時有不謝之花。八節有常春之景。眞所謂別作天地也。
杭州は東南で最大の都会で、家々は連なり人々は肩をこすって行き交う。市中には金銀が溢れ、人々は錦繍で装う。国内外の船の帆柱が林立し、酒場と歌楼が向かい合って立つ。四季の花が絶えることなく、年中常春の景観をなす。いわゆる別天地とはこのことであろう。
朝廷文物之盛。有可觀焉。然其閭閻之間。尙道佛不尙儒。業商賈不業農。衣服短窄。男女同制。飮食腥穢。尊卑同器。餘風未殄。是可恨者。且其山童。其川汙。其地沙土楊起。塵埃漲天。五穀不豐。其間人物之夥。樓臺之盛市肆之富。恐不及於蘇,杭。其城中之所需。皆自南京及蘇,杭而來。
[北京の]朝廷内は文物が盛んで、見るに値する。しかし巷間では道教と仏教を崇拝して儒学を尊ばず、商売には熱心だが農業を怠っている。また衣服が短くて狭いのは、男女とも同様である。飲食は不潔で、身分に関係なく同じ器を用いる。これは夷狄の習俗が残っているもので、誠に遺憾である。また山は禿山、川は濁り、土地は砂土で埃が撒き上がり天を覆う。五穀の実りも悪い。人口の多さと建物の華やかさや物資の豊富さは、蘇州や杭州に及ばない。城内で使う物資はすべて南京や蘇州・杭州から来る。
人心風俗。則江南和順。或兄弟或堂兄弟,再從兄弟。有同居一屋。自吳江縣以北。間有父子異居者。人皆非之。無男女老少。皆踞繩床交椅。以事其事。江北人心强悍。至山東以北。一家不相保。鬪敺之聲。礮鬧不絶。或多有劫盜殺人。山海關以東。其人性行尤暴悍。大有胡狄之風。
人心風俗について言えば、江南人は温和で、兄弟やイトコ、さらにハトコまでも同じ家屋で暮らす。呉江県以北では親子が別居する場合もあるが、人々はみなこれを非難する。老若男女の区別なくみな床几のような椅子に坐り、それぞれの仕事をしている。江北の人心は凶悪である。山東以北では一家が和を保てず、喧嘩の怒声がどこにいても聞こえて来た。強盗殺人事件も多い。山海関以東は人々の性質がさらに暴悪で胡狄の風が強い。
且江南人以讀書爲業。雖里閈童稚及津夫水夫。皆識文字。臣至其地。寫以問之。則凡山川古蹟土地沿革。皆曉解詳告之。江北則不學者多。故臣欲問之。則皆曰。我不識字。就是無識人也。
また江南人は読書をよくする。田舎の童子や船頭・水夫に至るまで、みな文字を知っている。私が通過した地方で筆談でものを尋ねると、山川古跡から土地の沿革まですべて詳細に解説してくれた。江北には文盲が多い。私が筆談でものを尋ねると、みな字を知らないと答える無知な人々だった。
且江南婦女。皆不出門庭。或登朱樓。捲珠簾以觀望耳。無行路服役於外。江北則若治田棹舟等事。皆自服勞。至如徐州,臨靑等地。華粧自鬻。要價資生以成風。
また江南では婦女は門外に出ず、朱楼に上がって珠簾を巻き上げ観望するのみだった。道を歩いたり労働したりする女子はいない。しかし江北では畑仕事や舟を漕ぐようなことも、みな女たちが自らしている。さらに徐州や臨清のような地では、着飾って坐って客を引いて売春する者もいた。
江南人死。巨家大族。或立廟旌門者有之。常人畧用棺不埋。委之水傍。如紹興府城邊。白骨成堆。江北如楊州等地。起墳塋或於江邊或田畔里閈之中。
江南では人が死ねば、富家では霊廟と旌門を建てるが、庶民は棺に入れるだけで埋葬はせず、河原に放っておく。このため紹興府の城外には、白骨が山積みになっている。江北では楊州等の地だと、河原や田畔や村の傍に墓を造る。
其所同者。尙鬼神崇道佛。言必搖手。怒必蹙口唾沫。飮食麤糲。同卓同器。輪筯以食。蟣蝨必咀嚼。砧杵皆用石。運磨使驢牛。市店建帘標。行者擔而不負戴。人皆以商賈爲業。雖達官巨家。或親袖稱錘。分析錙銖之利。
鬼神を崇め道教・仏教を尊ぶのは、南北とも同じである。話す時には必ず手ぶりをし、怒れば必ず唾を吐く。飲食はひとつのテーブル、ひとつの食器に盛り、回しながら食べる。シラミは必ず噛みつぶす。砧杵はすべて石製で、運搬には驢馬や牛を使う。市街の商店には看板があり、通行人は荷物を背負ったり頭に載せたりしない。人々はみな金銭に執着し、高官や富豪に至るまで自分で秤を持ち歩き、些細な利益まで追求する。