juraian’s blog

東アジア史、ナショナリズム、反日言説に関する個人研究

日朝中から見た日朝中 (10) 申叔舟『海東諸国紀』

申叔舟(田中健夫訳注)『海東諸国紀』岩波文庫青458-1, 1991.

『海東諸国紀』は、朝鮮議政府領議政・申叔舟が1471(成宗2)年に撰進した日本・琉球の研究書で、長らく対日外交の虎の巻として使われた。ここでは「国俗」の部分(pp. 117-118)を抜書きした。[ ]内は脚注。

 

天皇之子娶于其族国王之子娶于諸大臣

天皇の子は其の族を娶り、国王の子は諸大臣を娶る。

 

諸大臣而下官職世襲其職田封戸皆有定制然世久相并不可為拠

諸大臣而下の官職は世襲す。其の職田・封戸は皆な定制有り。然れども世久しく相并びて拠とは為すべからず。

 

刑無笞杖或籍家産或流竄重則殺之

刑は笞杖無し。或は家産を籍げ、或は流竄す。重きは則ち之を殺す。

 

田賦取三分之一無他徭役[凡有工役皆募人為之]

田賦は三分の一を取る。他の徭役は無し。[凡そ工役有れば、皆な人を募りて之を為す。]

 

兵好用槍剣[俗能錬鉄為刃精巧無比]弓長六七尺取木之理直者以竹夾其内外而膠之

兵は好みて槍・剣を用う。[俗、能く鉄を練りて、刀を為る。精巧比無し。]弓は長さ六、七尺。木の理直なるものを取り、竹を以て其の内外を夾みて之を膠く。

 

毎歳正月元日三月三日五月五日六月十五日七月七日十五日八月一日九月九日十月亥日以為名

毎歳正月元日・三月三日・五月五日・六月十五日・七月七日・十五日・八月一日・九月九日・十月亥日は、以て名日と為す。人は大小と無く各郷党・族親を会し、燕飲、楽を為し、相に遣るに物を以てす。

 

飲食用漆器尊処用土器[一用即棄]有筯無匙

飲食には漆器を用う。尊処には土器を用う。[一用れば即ち棄つ]。筯有り。匙無し。

 

男子断髪而束之人佩短剣婦人抜其眉而黛其額背垂其髪而続之以髢其長曳地男女冶容者皆黒染其歯

男子は断髪して之を束ぬ。人は短剣を佩ぶ。夫人は其の眉を抜きて其の額に黛す。背に其の髪を垂れて之に続け、以て髢す。其の長きは地に曳く。男女冶容の者は皆な其の歯を黒く染む。

 

凡相遇蹲坐以為礼若道遇尊長脱鞋笠而過

凡そ相遭うときは蹲坐して以て礼を為す。若し道に尊長に遭えば鞋笠を脱ぎて過す。

 

人家以木板盖屋唯天皇国王所居及寺院用瓦

人家は木版を以て屋を蓋う。唯天皇・国王の所居および寺院は瓦を用う。

 

人喜啜茶路傍置茶店売茶行人投銭一文飲一椀人居処処千百為聚開市置店富人取女子之無帰者給衣食容飾之号為傾城引過客留宿饋酒食而収直銭故行者富齎粮

人は喜びて茶を啜る。路傍に茶店を置きて茶を売る。行人銭一文を投じて一椀を飲む。人居は処処千百衆を為し、市を開き、店を置く。富人は女子の帰るところ無き者を取り、衣食を給し、これを容飾し、号して傾城と為し、過客を引き、宿に留め、酒色を饋りて直錢を収めしむ。故に行く者は粮を齎さず。

 

無男女皆習其国字[国字号加多干那凡四十七字]唯僧徒読経書知漢字

男女と無く其の国字を習う。[国字は加多干那と号す。凡そ四十七字なり。]唯僧徒は経書を読み漢字を知る。

 

男女衣服皆斑染青質白文男子上衣纔及膝裙長曳地無冠或着烏帽[以竹為之頂平字而前後鋭纔足掩髻天皇国王及其親属所着号立烏帽[直而頂円鋭高半尺以綃為之]笠用蒲或竹或椙木[男女出行則着]

男女の衣服は皆な青質に白文を斑染す。男子の上衣は纔に膝に及ぶ。裾は長く地に曳く。冠は無く、或は鳥帽を着く。[竹を以て之を為る。頂は平にして、前後に鋭し。纔に髻を掩うに足る。]天皇・国王および其の親属の着くる所は立烏帽と号す。[直にして頂は円く、鋭く高きこと半尺、綃を以て之を為る。]笠は蒲、或は竹、或は椙木を用う。[男女出行すれば則ち着く。]