juraian’s blog

東アジア史、ナショナリズム、反日言説に関する個人研究

欧米から見た中国 (8) シュリーマン『シュリーマン旅行記 清国・日本』

シュリーマン(石井和子訳)『シュリーマン旅行記 清国・日本』講談社学術文庫, 1998.

 ハインリッヒ・シュリーマン (Heinrich Schlieman, 1822~1890) はドイツの考古学者で、1871年トロイアの遺跡を発掘した。それに先立つ1864年世界漫遊に旅立ち、1865年4月に清国、6月に日本を訪れた。

 

私はこれまで世界のあちこちで不潔な町を随分見てきたが、とりわけ清国の町はよごれている。しかも天津は確実にその筆頭にあげられるだろう。町並みはぞっとするほど不潔で、通行人は絶えず不快感に悩まされている。 (p. 19)

 

私は、城壁の内側でものすごく素晴らしいものに遭遇できると思っていた。しかしそれは、ひどい間違いだった。北京には、荷馬車曳きが泊まる、ぞっとするくらい不潔な旅籠を除けば、ホテルというものはない。 (p. 21)

 

どこへ行っても、陽光を遮り、呼吸を苦しくさせるひどいほこりに襲われ、まったくの裸か惨めなぼろをまとっただけの乞食につきまとわれる。どの乞食もハンセン病を患っているか、胸の悪くなるような傷に覆われている。彼らは瘠せこけた手を天に上げながら、跪いて額を地にこすりつけ、大声で施物をねだる。 (p. 24)

 

シナ人は偏執的なまでに賭事が好きであり、貧しい労働者でも、ただ同然で食事にありつけるかもしれないというはかない望みに賭けて、自分の食い扶持の二倍ないし四倍の金をすってしまう危険をものともしない。 (p. 31)

 

石畳の断片、瓦礫となった下水渠、壊れた軒蛇腹、塑像、石橋……北京の街のそれらすべてが、いまや荒廃し堕落した国民を表していた。現在では二階建ての安っぽい家、汚れきって、首都の道路というよりは巨大な下水渠のような通りに、かつては偉大で創意に富んだ人々が住んでいたのだ。舗装され、清潔な見事な道路、大邸宅、壮麗な宮殿があったのだ。もし少しでもお疑いなら、北京の堂々たる城門や城壁を見るがいい。 (pp. 39-40)

 

どうしてもしなければならない仕事以外、疲れることは一切しないというのがシナ人気質である。これは言っておかなくてはならないだろう。先日、広東でボートを借りたときもそうだった。 (p. 42)

 

清国政府は、四億の人民を教化するあらゆる事業を妨げることで、よりよい統治ができると考えているから、蒸気機関を導入すれば労働者階級の生活手段を奪うことになると説明しては、改革に対する人々の憎悪を助長している。しかし、極端な困窮にあえいでいるから、早晩、自国の豊かな炭鉱に目を開き、蒸気機関を使ってそれらを採掘せざるを得なくなるであろう。(p. 57)

 

日本人を除けば、シナ人は滑稽物を演ずる技術にもっとも長けた民族であると、私は思う。シナの俳優はどんな小さな「だしもの」でもかならず絹に金糸の刺繍をしたきらびやかな衣装をつけるが、これによって彼らの舞台がいっそう映える。しかし、真に賞讃すべきは、彼らの素晴らしい記憶力だろう。そのおかげで何百とある場面を新たに準備することなく、またヨーロッパの俳優たちのように舞台監督やプロンプターの助けもなしに演じることができるのである。 (pp. 66-67)

 

しかし私には、ここの歌も音楽も、どうしてこれほど観客を熱狂させるのか、わからない。とにかくこの劇場の音楽、歌を聴いて、私はあらためて、シナ人がハーモニーとかメロディーとかがどんなものかまったく理解していいないことに気づいた。(p. 67)