日本語の数詞は珍しい「倍数法」で、3(mi)と6(mu)、4(yo)と8(ya)が対応する。5(itu)と10(towo)が対応しているかは知らない。ともあれこんな体系はかなり珍しいので、まずこれが日本語独自のものかが問題となる。高句麗語の3(mir)、5(u-che)、7(nan-yn)、10(tek)との類似はよく知られているが、4、6、8がわからないので高句麗語も倍数法だったという確証はない。しかしこれだけ似ているのだから、ここでは夫餘祖語で倍数法の数詞体系ができあがったと仮定する。
他の言語では2と3、4と5など連続する二数が似ている場合が多く、言語学でこのようなパターンを何と言うのか知らないので勝手に「二進法」と呼ぶことにする。典型的なのが印欧語で、2と3はt/dで始まっている。祖語では4は*kw-、5は*penで始まっていたと推定されているらしいが、ラテン語でもゲルマン語でも同じ音で始まっていることから、祖語の語頭子音も似た音だったとしてもおかしくない。6と7はともにsで始まっている。8と9も、祖語では語頭にhがあったという仮説もあり、二進法の一環かもしれない。
ウラル語でも2と3はともにkで始まっている。4と5は違うが、ハンガリー語の6と7は非常に似ている。ウラル語で8は「10引く2」、9は「10引く1」で表す場合が多い。つまりこれらの言語では、7までしか数詞がなかったらしい。フィンランド語の7も6までより長く、引き算か足し算を表しているのかもしれない。その場合、6までの数詞しかなかったことになる。
古シベリア諸語のうち、ケット語はいちおう7までの数詞があり、ウラル諸語と同じく8は「10引く2」、9は「10引く1」と表現するそうである。ユカギール語は日本語と同じく倍数法で、6は「3の二倍」、8は「4の二倍」という。4以降は明らかに長いが、4は「3足す1」「3の次」とかだろうか。宮岡伯人によると5は「掌,手首(すなわち5本の指)」を表す語を含むが、よくわからないらしい。宮岡はニヴフ語(ギリヤーク語)の6〜9を書いてくれていないが、すべて独立した単語だそうである。一方、チュクチ語とエスキモー語では5〜8は5からの足し算、9は「10引く1」だそうである。
田村すゞ子によるとアイヌ語の5は「手」で、6〜9は10からの引き算だという。4はi-で10はwanだから、i-wanは「あと4つで10」を表している。7の’ar-は3のre-と同根だだそうである。8、9の語尾も本来は-wanであるべきで、田村は解せないとしている。
韓語は3(sees)と4(nees)、5(dasɔs)と6(‘jɔsɔs)がペアをなす二進法で、他のユーラシア語で2と3、4と5、6と7がペアになっていたのと異なる体系をしている。またdasɔsは母音調和に反しており、なぜこんな単語があるのかわからない。8(‘jɔdɔr)が10(‘jɔɔr)と2(duur)の合成だとしたら引き算かもしれない。
夫餘祖語にはチュクチ語やエスキモー語と同じく5までの数詞しかなく、6と8を倍数法で作ったのだろう。すると7と9は足し算か引き算だろうが、今となってはその原理はわからない。韓語の7(‘irgɔb)と9(‘ahob)は関係がありそうだが、やはりよくわからない。ウラル語や古シベリア語、アイヌ語など多くの言語で9=10-1と表されるので、‘ahobやkokonoもそうなのかもしれない。
最もわけがわからんのがアルタイ語の数詞体系である。二進法らしくもないし、倍数法でもなく、5からの足し算も10からの引き算も見当たらない。テュルク語、モンゴル語、ツングース語で似ているのは4だけである。古くから漢人と接触してきたわりには、漢語から借用した様子もない。大江孝男によると、万を表すアルタイ語tümen、tumenは印欧語からの借用だそうである。見たところ다섯のような母音調和違反の単語はない。