序文で述べたように、このページはもともと韓国人を挑発するために韓国語で書いたものである。
韓国の野史では日本の天皇が韓国系というのは人気ある主題で、特に古代のある天皇が百済人だったという説が多い。金聖昊は応神天皇(4世紀末)が沸流百済の王だったと主張し、金雲會は近肖古王の息子か妻の兄弟だったとした。崔在錫は継体天皇(在位507〜531)が百済人だったという説で、金容雲は蓋婁王の次男昆支だったという説だ。
한-일 관계 몸통찾기 내게 맡겨라 [주간동아 2002/01/10]
https://weekly.donga.com/culture/article/all/11/67494/1
일본, 부여의 아들 [김운회]
https://park3324.tistory.com/6
현대 일본어는 백제어에서 출발 [조선일보 2009/07/22]
http://www.chosun.com/site/data/html_dir/2009/07/21/2009072101636.html
江上波夫の夫餘系征服王朝説もそうだが、問題は4世紀以後日本に考古学的断絶を見出せないということだ。特に3世紀末以後の大王の墓所は全て日本固有様式である前方後円墳だった。百済人や夫餘人のアイデンティティを持った征服者が被征服者の葬礼に従う理由があったのか? これは米国大統領が原住民様式の墓所に埋葬されることぐらい異常なことでないか?
前方後円墳の流行が終わる6世紀末以後の征服者なら、記録がなければならない。したがって半島から征服者が来たとすれば、3世紀末以前でなければならない。この時代は百済も新羅も統一国家形成期で、伽耶を無視して日本を征服しに来たと想像するのが難しい。朴天秀によると、日本で出土した4世紀以前の遺物は伽耶系統が大部分だという。したがって征服者は伽耶から来た可能性が最も高い。この伽耶系集団がまず九州で土着化し、相当に日本化した後に大和に進出して天皇になったと考えれば、神武東征神話とも符合する。
このシナリオは韓国人の気に入らないだろう。野史で応神天皇や継体天皇が選ばれ百済人に化ける理由は、彼らが新しい王朝の始祖だったと見なされるためだ。こういう王朝交替説に従うなら、たとえ初期天皇が伽耶系でも今の天皇家とは無関係ということになる。一方、天皇家が万世一系とすれば、伽耶系天皇は任那日本府説と親和性が高い。日本で軍事力を育てた天皇家が、故郷の地に進出して縁故権を主張するのが自然なためだ。韓国人たちが考古学的知見を無視して無理に天皇百済人説を主張するのには、そうした理由もあるとみられる。